何度か言語文化教育では有名な学者Kramschについて紹介しましたが(前記事①、前記事②、前記事③)、彼女は何度か歴史学者のピエール・ノラの「記憶の場(lieux de mémoire)」を引用していて、気になっていたので調べてみました。
ちなみに彼女は、人の移動が増えた今日では、文化というのは、その土地を離れたアイコンのような「記憶の場(lieux de memoire)」となっているというふうに言っています。(e.g. Kramsch 2009, p. 246; Kramsch 2013, p. 65)「集合的な記憶を表象する場」と言われることもあるみたいです。
ピエール・ノラの「記憶の場」については日本語でも紹介されているみたいですね。ノラは編者でこのシリーズは全7巻あるみたいです・・・。
- ピエール・ノラ編/谷川稔監訳, 『記憶の場 : フランス国民意識の文化=社会 史 : 第三巻 模索』, 岩波書店, 2003.
今回読もうとしたのは、Nora (1989) Between memory and history: Les lieux de mémoireという論文です。
ただ、一通り読むには読んだものの、私には抽象的すぎてあまりよく分かりませんでした。またちょこちょこ例が出てくるのですが、その例もいまいちなじみがなく、しっくりこなかったです・・・。
例えば、「記憶の場」の例として、ノラは「Revolutionary calender」と「Tour de la France par deux enfants」を挙げているのですが(p. 19-p.20)、どちらも私には「何それ?」という感じでした。ちなみに前者は、フランス革命期に作られた暦のことで、後者は、1877年に書かれた絵本のことだそうです。
なのでかなりあやふやではありますが以下、理解した範囲で書きます。
「記憶の場」を理解するには2つの流れを見る必要があります。
1つは記憶の伝統が失われていっているという歴史的な流れです。グローバル化によって今まである記憶を共有していた家族や教会、国家などの共同体がなくなっていき、共同体などの集団の持つ記憶は失われつつあります。
もう1つは近年の歴史研究の流れです。歴史は過去を再構築していくものですが、近年は歴史自らを振り返る動きがでているようです。
「記憶の場」というのは、この2つの流れが交わるところであるといっています(ここらへんはいまいちよく分かりません)。
でもとにかく、「記憶の場」とは、失われた記憶が残存する場所であり、変わりつつある共同体が意志を持って作り出し維持するものだそうです。
また、「記憶の場」というのは、①物質的な場(実際に存在するもの)であり、②象徴的(シンボリック)な場であり、③機能的な役割を果たす場でもあるといっています。また、「記憶しておかなければならない」という意志が働いているのが「記憶の場」の特徴といえます。
上記のフランス革命期の暦法である「Revolutionary calender」の例の場合、この暦は、①参照可能な物質的なものであり、②『新たな歴史の扉を開く』といったような象徴的な意味を持つものでもあり、かつ、③暦としての機能も果たすものであったといっています。また、グレゴリオ暦のように現在も使われていたら「記憶の場」にはならなかったですが、今は使われておらず、それでもまだ残っているという点で「記憶の場」になっていると言っています。
ここまで書きましたがわかったようなわからないようなという気持ちです。