日本語の受け身
日本語の受け身の分け方は諸説ありますが、日本語教育では以下の2つに分けて考えることが多いです。
- 直接受身
- 間接受身
ただ、「持ち主の受け身」を別のものと考え、3分類とすることもあります。
- 直接受身
- 間接受身
- 持ち主の受け身
この記事では、直接受身、間接受身、持ち主の受け身について簡単に説明します。
直接受身
直接受身は、対応する能動文(受身でない文)を持つ受け身です。
以下のようなものがあります。
- 佐藤さんは山田さんにしかられた。
- 佐藤さんは山田さんにたたかれた。
- 佐藤さんは山田さんにほめられた。
対応する能動文は以下です。
- 山田さんは佐藤さんをしかった。
- 山田さんは佐藤さんをたたいた。
- 山田さんは佐藤さんをほめた。
英語を習った人なら、英語でも受身形を学んだと思います。直接受身は、英語の受け身に当たるものです。
英語にすると以下のようになります。
- Sato-san was scolded by Yamada-san.
- Sato-san was beaten by Yamada-san.
- Sato-san was praised by Yamada-san.
非情の受け身
なお、直接受身の中で、無生物を主語にする文は、非情の受け身と呼ばれます。
- 源氏物語は紫式部によって書かれました。
- オリンピックは北京で開かれます。
- 英語は世界中で話されています。
「源氏物語」や「オリンピック」、「英語」は無生物ですね。
日本語は無情物(感情のないもの)はあまり主語になりにくい傾向があります。
ただ、非情の受け身は、英語などの影響で、よく使われるようになっています。
動作主が「紫式部」のように有名な人の場合や、動作主をあえていう必要がないとき(動作主が不特定多数の場合など)によく使われます。
間接受身
間接受身は、能動文にはないものが主語になる受け身です。
以下のようなものがあります。
- (私は)雨に降られました。
- (私は)子どもに泣かれました。
- (私は)妻に死なれました。
これらの能動文を考えると以下になると思います。
- 雨が降った。
- 子どもが泣いた。
- 妻が死んだ。
間接受身では、主語に「私」がありました。でも、能動文では「私」はありませんね。
「雨が私に降った」「子どもが私に泣いた」「妻が私に死んだ」など、無理やり間接受身の主語を入れると不自然に感じるのではないでしょうか。
間接受身は、主語が間接的に迷惑や被害を被るという意味を持ちます。
上の例でも、主語の「私」が「雨」「子どもが泣く」「妻が死ぬ」ことによって、迷惑・被害を被ったというニュアンスがでますね。
間接受身は、迷惑の受け身や被害の受け身ともいわれます。
間接受身は英語にはありません。なので、直接受身の場合のように、さっと英語の受身形で訳せません。
上の例は以下のような訳があてられるようです。
- I got caught in the rain.
- A child cried.
- I have had my wife die./My wife died.
②の「A child cried」や③の「My wife died」だと、迷惑の意味がなくなってしまいますね。
持ち主の受け身
持ち主の受け身は、主語の所有物・身体の一部・親族や知人が動作の対象になるものです。
持ち主の受け身を間接受身に含める人も多いです。
ただ、持ち主の受け身は、対応する能動文もあるため、直接受身と間接受身の中間とみなし、独立したカテゴリーとみなす人もいます。
持ち主の受け身は、以下のようなものがあります。
- (私は)財布を泥棒に盗まれました。
- (私は)足を踏まれました。
- (私は)息子を先生に褒められました。
主語の「私」にとって、「財布」は所有物、「足」は身体の一部、息子は「親族・知人」ですね。
対応する能動文は以下になります。
- 泥棒が私の財布を盗みました。
- (だれかが)私の足を踏みました。
- 先生は私の息子を褒めました。
ちなみに、これを直接受身にすると、以下になります。
- 私の財布は、泥棒に盗まれました。
- 私の足は、踏まれました。
- 私の息子は先生に褒められました。
ただ、日本語は、「足」や「財布」などの無情物(感情をもたないもの)を主語にしにくいという特徴があります。
なので、特に「足」や「財布」の場合は、「私」を主語にして、「(私は)財布を泥棒に盗まれました」「(私は)足を踏まれました」と、持ち主の受け身を使うことが多いです。
参考文献
日本語の直接受身、間接受身、持ち主の受け身について簡単に説明しました。
何かのお役に立てれば幸いです。
この記事を書くにあたって参考にしたのは以下の本です。