Anthony Liddicoatの以下の論文について紹介します。
- Liddicoat, A. J. (2009). Communication as culturally contexted practice: A view from intercultural communication. Australian Journal of Linguistics, 29(1), 115-133.
この論文では、異文化間コミュニケーションの視点からことば・文化を考えています。
異文化間コミュニケーションの視点
コミュニケーションというと、情報の伝達といわれることがあります。
ただ、異文化間コミュニケーションの視点からいうと、コミュニケーションとは、社会的関係を維持するためのもので、主に社会性行為(act of sociality)になるとLiddicoatは指摘します。(Liddicoat 2009, p. 116)
また、コミュニケーションする際には、ことばだけでなく文化も関係しているというのは納得する人が多いと思いますが、どのようにことば・文化が関係しているのかと言われると、答えるのはなかなか難しいと思います。
Liddicoatは、以下のとおり、コミュニケーションにおける文化・ことばの接点を5つに分けて提示しています。
- コンテクストとしての文化(Culture as context)
- テキスト構造における文化(Culture in general text structure)
- 発話の意味における文化(Culture in the meaning of utterances)
- 発話の順序における文化(Culture in the positioning of units of language)
- 言語構造・パラ言語構造における文化(Culture in linguistic and paralinguistic structures)
1に近いほうが、より文化が前面的にでてくるものであり、5に近いほうがことばが前面的にでてくるものといっています。
また、「1」か「2」かではなく、直線上に1~5のレベルがあって、連続体として考えることを前提にしたモデルのようです。
この1~5について、簡単に説明します。私なりに解釈したものも多く含まれているので、詳細は原文をご参照ください。
コミュニケーションにおける文化とことばの関係
① コンテクストとしての文化(Culture as context)
コンテクストの文化というのは、文化が意味の伝達・解釈のフレームを提供するというものです。
育った環境によって、保有する知識は違い、その知識の違いによって、同じメッセージを聞いても解釈が変わることがあります。
Liddicoat (2009)は、「sacred site」という例を挙げていました。
Sacred site (神聖な場所)というと、何を思い浮かべるでしょうか?
「sacred site」という表現1つとっても、育ってきた環境によって思い浮かべるものにかなりずれがあると考えられます。
人によっては神社を思い浮かべるかもしれませんし、教会やモスクを思い浮かべる人もいるかもしれません。
それぞれの人が様々な知識を持っていて、似たような環境で育っているとその知識を共有している可能性が高いですが、そうでないと共有する知識が少なくなる可能性が高いです。
その人が持っている知識が、コミュニケーションをするときにかなり影響を与えていて、メッセージを伝達・解釈するときの枠組みにもなるということだと思います。
② テキスト構造における文化(culture in text structure)
テキスト構造(ジャンル)における文化というのは、様々なジャンルのテキストの構造にも文化が現れるということのようです。
当たり前ですが、SNSで何かを書くのと、論文で何かを書くのでは書き方が全然変わります。
それぞれのジャンル(SNS、論文、俳句、新聞記事)に、それぞれの書き方がありますが、この書き方というのは言語によって変わることもあります。
また、「俳句」のような場合は、他の言語ではそもそもそのジャンルがないこともあります。
例えば、日本の国語教育を受けた人なら、日本語でストーリーを書くときに、起承転結について学んだ人も多いと思います。
ただ、日本の国語教育を受けていない人なら、起承転結は学ばない人も多いでしょう。起承転結のような文章構成(テキスト構造)にも文化が表れているとも言えます。
書きことばだけでなく、話しことば(プレゼンなど)でも、構成というものがあって、何をどの順序で伝えるかいうことにも、文化が関係しているということだと思います。
③ 発話の意味における文化(Culture in the meaning of utterances)
発話の意味における文化というのは、語用論に関係するものです。
語用論というのは、言語を使用するときに、言外の意味はどう作られていくのか、そして話し手と聞き手はどう言外の意味を伝え、また解釈しているのかということに関係しています。(詳しくは「語用論とは何か?」もご覧ください。)
Liddicoat(2009)の例で挙げられていた例だと、「Thank you」があります。
オーストラリアでの英語の会話で、親が子を迎えに行ったときに、子どもが「Thank you for picking me up(迎えに来てくれてありがとう)」と親に言うのは、特に変ではないそうです。
ただ、フランスでは、親子のような親密な関係では、感謝の気持ちは、普段と違うときや予想外のときに使うことが多いそうです。
なので、子どもが「迎えに来てくれてありがとう」といつもの送り迎えで言った場合は、(当たり前のことをしたつもりなのに)親は気分を害する可能性があるとのことです(Liddicoat 2009) 。
発話をどう解釈するかというのにも文化が関係しているということだと思います。
④ 発話の順序における文化(Culture in the positioning of units of language)
発話の順序における文化というのは、会話分析などでよく議論される相互行為の規範に関係するものです。(詳しくは「会話分析の主要な概念について②:adjacency pair(隣接ペア)」もご覧ください。)
例えば、挨拶を一つとっても、「こんにちは」と言われたら「こんにちは」と返すなど、Aと言えばBというような、会話の順序(シークエンス)があります。
電話で「お世話になっております」と言われたときに、「こちらこそお世話になっております」というのはよくある流れだと思います。
ただ、「お世話になっております」と言われたときに、「元気ですか?」と答えるのは、あまりないかと思います。
会話の流れというのも、ある程度慣習のようになっていて、どの表現をどの時点でいうかということにも文化が影響を与えているということだと思います。
⑤ 言語・パラ言語構造における文化(Culture in linguistic and paralinguistic structures)
言語・パラ言語構造における文化というのは、言語・パラ言語そのものに含まれている文化ということです。
ちなみに、パラ言語というのは、笑い、ポーズ、ピッチ、声量のことです。
例えば「give」という語は、日本語では「くれる」「あげる」「くださる」「さしあげる」と4つの語があります(Liddicoat 2009)。
このように一つの言語形式(この場合は語彙)をとってみても、文化的要素が含まれているということだと思います。
もっと知りたい方は
異文化間コミュニケーションの視点からことば・文化に関するLiddicoatの論文を紹介しました。
文化というのは様々なレベルで影響を及ぼしており、同じメッセージでも相手は様々な形で解釈する可能性があります。
異文化間コミュニケーションというのは、この複数の解釈の可能性に常に注意することなのではないかとLiddicoat(2009)は述べていました。
Liddicoatは、文化とことば、異文化間コミュニケーション、言語政策など、数多く執筆していますので、ご興味のある方はそちらもご覧ください。
- Liddicoat, Anthony J., and Angela Scarino. Intercultural language teaching and learning. John Wiley & Sons, 2013.
↑これは異文化間の視点からの言語教育・学習について述べた本です。