この記事では、日本語文法でよく出てくる「うなぎ文」について説明します。
まずうなぎ文とは何かを説明したあと、その解釈について説明します。
うなぎ文とは?
うなぎ文
「うなぎ文」は、以下の本で奥津が提示した「僕はうなぎだ」という文のことで、日本語の「ダ構文」の解釈に大きな影響を与えました。
- 奥津 敬一郎 (1978)「ボクハウナギダ」の文法. くろしお出版
とはいえ、「うなぎ文」については、奥津以前にも指摘はされていたようです。
ダ構文
うなぎ文に入る前に、ダ構文について説明します。
ダ構文というのは「AはBだ」という構文のことですが、以下のように使われることが多いです。
- 私は山田だ。
- 私は学生だ。
- 山田さんは天才だ。
この場合、「私=山田」「私=学生」「山田=天才」と「A=B」の関係が成り立ちます。
なお、日本語の「AはBだ」の「だ」はコピュラ(copula)と呼ばれることが多いです。
コピュラというのは、主語の名詞と述語の名詞を結びつけるものです。英語では代表的なコピュラはbe動詞です。
うなぎ文
では、本題の「僕はうなぎだ」というダ構文ですが、上記のダ構文と同様、「AはBだ」を「A=B」と考えると、
- 僕=うなぎ
になります。
英語にすると「I am an eel」ですね。
もし「うなぎ」が擬人化されて出てくる絵本があって、その中で擬人化されたうなぎが「僕はうなぎだ」というなら、「僕=うなぎ」になるでしょう。
ただ、「僕はうなぎだ」の文は、必ずしも「僕=うなぎ」の意味で使われるわけではありません。
例えば、友人と料理屋にいって「君は、何にする?」と質問したとします。
その回答に、「うなぎにする」という代わりに、「僕はうなぎだ」ということもできるでしょう(奥津 1978)
この場合の「僕はうなぎだ」は、「僕=うなぎ」の関係は成り立ちません。
つまり、日本語は「AはBだ」の構文で、A=Bの関係にならないものも多いのです。
他にも以下のような例があります。
- 私は105号室だ。(泊まっているホテルの部屋について聞かれたとき)
- 「ノルウェーの森」は村上春樹だ。(本の作者について話しているとき)
- 東京は初めてだ。(東京に初めて来たとき)
ちなみに、奥津(2007)によると、うなぎ文は、万葉集にも出てきているようです。また、枕草子の「春はあけぼの」や「秋は夕暮。」という文もうなぎ文の例としてあげられています(奥津 2007)。
うなぎ文の解釈
うなぎ文の解釈については、生成文法、意味論、談話文法等、様々な観点からたくさんの説が提唱されています。
あまりに多すぎるので、ここでは述語代用説と分裂文説のみ紹介します。
述語代用説
例えば、奥津(1978)は述語代用説を挙げています。
つまり、「僕はうなぎを食べる」の代用として、「ダ」が使われるというものです。
「私は105号室だ」の場合は「私は105号室に泊まっている」
「『ノルウェーの森』は村上春樹だ。」の場合は「『ノルウェーの森』は村上春樹が書いた」
「東京は初めてだ」の場合は「東京は初めて来た」
というように述語が「ダ」によって代用されているという考え方です。
分裂文説
分裂文説(北原 1981など)もあります。(とはいえ、分裂文説の中にもいろいろあるようです)
ちなみに、分裂文は、簡単にいうと「It is him who said this」といったような強調構文のことです。日本語だと、「~のは~だ」という文が分裂文といわれています。
分裂文説だと以下のように、分裂文の部分が省略されていると考えられます。
- ぼく(が食べるの)は うなぎだ。
他の文だと以下のような部分が省略されていると考えられるでしょう。
- 私(が泊まっているの)は105号室だ。
- 「ノルウェーの森」(を書いたの)は村上春樹だ。
- 東京(に来たの)は初めてだ。
もっと知りたい方は
うなぎ文と、その解釈について簡単に説明しました。とはいえ、うなぎ文の解釈については今も議論されています。
もっと詳しく知りたい方には以下のような本もあります。
- 西山 佑司 (2003)日本語名詞句の意味論と語用論―指示的名詞句と非指示的名詞句. ひつじ書房
- 今井邦彦・西山佑司 (2012) ことばの意味とはなんだろう意味論と語用論の役割. 岩波書店