やさしい日本語とは何か?いろいろな使い方をされているみたいなので整理してみました。

やさしい日本語とは?

やさしい日本語は、非日本語母語話者でもわかりやすい日本語を指します。

1995年、阪神大震災のとき、被災した日本語非母語話者の中には英語・日本語どちらも十分に理解できなかったため、正確な情報を受け取れないというケースがあったそうです。

災害発生時に、日本語非母語話者も適切な行動をとれるよう「やさしい日本語」に必要性が検討されるようになったといわれています。

もともとは減災のために生まれたそうですが、最近は地方自治体の日本語非母語話者の対応や、観光業界、地域日本語教室などでも使われています。

「やさしい」はひらがなで書き、「優しい」「易しい」どちらでもとれるようにしているようですね。

ただ、「やさしい日本語」と一口にいっても、その意味するところはだいぶ違うようで、私自身がよくわからなくなっていたので、自分なりに以下の3つに整理してみました(私自身のカテゴリー分けですので、ご了承ください)。

① 情報提供目的の(基本は)書きことばの「やさしい日本語」(初級修了~中級日本語レベル)
② 母語話者が非母語話者とコミュニケーションするときの「やさしい日本語」
③ 日本で生活する初級の非母語話者の日本語学習のための「やさしい日本語」
この3つについて説明します。

① 情報提供目的の(基本は)書きことばの「やさしい日本語」

まずは、ニュースや災害情報、地域の情報などの情報伝達をする際の「やさしい日本語」です。基本は、書きことばの話が多いようです(ニュースだと音声などもあります)。


↑ツイッターでNHKがひらがなで情報提供した際のものです。ひらがなの使用について少し話題にもなったようですね。

 

NHKは「NEWS WEB EASY」という簡単な日本語でのニュースを流していますが、これも「やさしい日本語」の事例としてよく挙げられています。

日本語非母語話者の子どもが多い学校などでは、学校便りなども「やさしい日本語」で書く学校もあるようです。

海外観光客の多いところでは看板などの公共表示も「やさしい日本語」での記載をしているところもあります。

「やさしい日本語」への書き換えのトレーニングなどもあるようです。

 

この場合の「やさしい日本語」は、上級レベル以上でないとわからない日本語情報を、初級レベルの日本語が終わった人ならわかるレベルの日本語に書き換えるというイメージです。

初級修了~中級レベルの日本語と考えていいかと思います。

 

② 母語話者が非母語話者とコミュニケーションするときの「やさしい日本語」

次は、非母語話者と(主に口頭で)コミュニケーションするときの「やさしい日本語」です。

地方自治体や医療の現場などでの非母語話者対応の場面で「やさしい日本語」のトレーニングなどが行われているようです。

 

  • 岩田・柳田(2020)やさしい日本語で伝わる! 公務員のための外国人対応. 学陽書房

↑このような本も出ています。

 

このときの「やさしい日本語」は、基本は日本語母語話者が非母語話者と話す場合に、相手に合わせて言語を調整すると意味で使われています(岩田・柳田 2020, 第1章)。

例えば、上記の岩田・柳田(2020)は「やさしい日本語」についての本なのですが、「外国人対応」の心構えに、わざわざ1章が割かれており、ポイントとして「相手を理解する気持ちを持つ」「相手の言葉にキチンと反応する」などがあげられていました。

また、「やさしい日本語」の基本として、「「。」をたくさん使う」(複文を減らす)、「尊敬語・謙譲語を減らす」、「話す前に(情報を)整理する」などありましたが、「やさしい日本語」の言語的特徴というより、言語を調整する際に気をつけたほうがいいポイントのようです。

この場合の「やさしい日本語」というのは、上記①の書きことばの「やさしい日本語」の場合のように、ある程度の実体があるもの(=初級の日本語が終わった人ならわかるレベルの日本語)ではなく、相手の日本語の理解度に合わせて、言語を調整するということのようです。

 

③ 日本で生活する初級の非母語話者の日本語学習のための「やさしい日本語」

さらに、日本で生活する初級の非母語話者の日本語学習のための「やさしい日本語」もあります(庵 2009)。

現在の日本語教育で初級教科書を終えるのにはかなりの時間・労力の投資が必要です。そして、初級教科書を終えたからといって、皆が日本語で日常生活が送れるというわけではありません。

また、初級教科書でカバーされる文法項目では、別に使えなくてもなんとかなるというような項目も含まれていると指摘もされています。

このため、日本で生活する日本語非母語話者の人が、効率的に日本語を学べるようになるため、初級シラバスの見直しを行う動きがあり、それが「やさしい日本語」の議論の中にも入っています。

 

  • 庵功雄(2020)「にほんごこれだけ!」ココ出版

↑「やさしい日本語」研究プロジェクトの一環で開発された教科書だそうです。

この場合の「やさしい日本語」は、日本で生活する初級の非母語話者が日本語を効率よく学ぶための初級レベル日本語になると思います。

 

「やさしい日本語」で混乱するポイント

個人的に「やさしい日本語」に関していくつか混乱するポイントがあります。

①「やさしい日本語」は何なのか?

私は「やさしい日本語」が何なのかよくわからなかったのですが、この記事でまとめて、少なくとも、上の3つが同じ「やさしい日本語」というくくりで語られていることが一因だと思いました。

「やさしい日本語」について話す人がいたときに、どの「やさしい日本語」を前提しているか、意識しようと思いました。

 

②「やさしい日本語」が必要なのかという問題

「やさしい日本語」に関して、「なぜ「やさしい日本語」が必要なの?英語でいいのでは?」という批判がよくあるそうです。

それに対する「やさしい日本語」を推進する人のよくある反論として、在住外国人のうち、日本語ができると答えた人のほうが、英語ができると答えた人より多いというのが複数の調査ででていること(例:「生活のための日本語:全国調査」(2009年))があげられています(庵 (2009)、岩田・柳田 (2020))。

私は「やさしい日本語」に反対しているわけではありませんが、この批判に対する回答については腑に落ちないと思うときがあります。

 

①情報提供目的の(基本は)書きことばの「やさしい日本語」の場合

「①情報提供目的の(基本は)書きことばの「やさしい日本語」」の場合は、「やさしい日本語」という選択肢があることが助けになる人は多いと思います。

私の周りでもNEWS WEB EASYを読んでいる学習者も多く、日本語学習に役立ちますし、日本語で情報が得られるということで情報提供の面でも一定の効果があると思います。

公共の表示等にも「やさしい日本語」を加えることで、情報がさらに届く効果も考えられます。

 

ただ、どこまで必要か、英語より「やさしい日本語」が適切なのかというのはケースバイケースとしか言えないと思います。

例えば、非母語話者の児童が多い学校で、学校便りを多言語化するのが非現実的な場合、「やさしい日本語」で対応するのは現実的な選択肢で、情報伝達のために必要ともいえると思います。

 

ただ、地方自治体の各種の申請書や通知等を多言語化する際に、「日本語」以外にあと1言語できる予算があるといわれて、「英語」ではなく「やさしい日本語」を選ぶのかといわれると、疑問です。

在住外国人のうち、日本語ができると答えた人が多いからといって、その一定数は「やさしい日本語」が必要ない上級レベルの人か日本語母語話者だと考えられるので、単に「日本語がわかる人が多い」ということが、「やさしい日本語」が適切ということにはならないと思います。

 

② 母語話者が非母語話者とコミュニケーションするときの「やさしい日本語」の場合

「② 母語話者が非母語話者とコミュニケーションするときの「やさしい日本語」」の場合は、私も日本に在住の非母語話者には日本語でコミュニケーションしたほうが効率的なことが多いという考えには賛成ですが、それが「やさしい日本語」を使う理由にはならないのではないかと思います。

この場合は、別に「英語」を否定する必要も、「日本語」(または「やさしい日本語」)を否定する必要もなく、相手と自分の言語能力に応じてコミュニケーションをとるという、それ以上でも以下でもないと思うからです

日本語母語話者と非母語母語話者が会話する場合で、母語話者が日本語しかできず、非母語話者が日本語がある程度できるなら、「やさしい日本語」を使うのは効果的でしょう。

でも、その二人が中国語がすごくできるんだったら、日本語でなく中国語でやったほうが効率的でしょうし、日本語・中国語を混ぜてもいいでしょうし、自分の言語能力と相手の言語能力に合わせて、効果的な伝達手段を探すということしかないと思います。

「英語」を肯定する理由も、「日本語(やさしい日本語)」を肯定する理由もなくなる気がします。

 

③ 日本で生活する初級の非母語話者の日本語学習のための「やさしい日本語」の場合

この場合は、日本で生活する初級の非母語話者が効率的に日本語を学べる方法があるなら、それを開発・検証していくのは必要ではと思いますし、そのニーズもあると思います。

現在の日本語教育の総合教科書は、外国語として日本語を学ぶ成人を前提にしていることが多いと思うので、日本で生活する非母語話者の児童や、あまり日本語学習に時間がかけられない状況にいる非母語話者が効率的に学べるシラバスを今後も発展させていくことは必要だと思います。

 

ただ、これは「在住外国人のうち、日本語ができると答えた人のほうが、英語ができると答えた人より多いというのが複数の調査ででている」という議論とは関係ない話ともいえます。

 

上記に述べた通り、私は「やさしい日本語」に反対しているわけではありません。ただ、もし「やさしい日本語」が(英語よりも)必要という議論を進めるのなら、在住外国人で日本語がわかる人が多いという根拠は、上記の理由から弱いのではと思ってしまいます。

③「やさしい日本語」と他のディスコースの関係

私の中で消化不良な原因のもう一つは、「やさしい日本語」が「多文化共生社会」などと特定のディスコースと密接に結びついて話されることが多く、その語られ方が気になることがあるからです。

「やさしい日本語」’(やセットで語られがちな「多文化共生社会」のディスコース)で、「やさしい日本語」が多文化共生社会や、日本語の多様性を寛容するという形で語られていることを複数回見たことがあります。

ただ、多文化共生社会や日本語の多様性への寛容といいつつ、「日本人vs外国人」という対立構造や、「日本人=日本語」「外国人=日本語非母語話者」という前提で(または、都合のいいときにその前提を使う形で)話が進められている場面に出会ったこともあります。また、「母語話者が非母語話者に日本語のレベルを合わせてあげる」というパターナリズムを感じるときもあります。「やさしい日本語」に携わる人にも様々だと思いますが、「やさしい日本語」(+他のディスコース)にひっかかりを感じることがあります。

これは、個人的な意見ですが、「やさしい日本語」というのは、日本国内での言語政策の一環であり、「日本語保持」(または「日本国内における日本語の優位性確保」)という観点から、「在住非日本語母語話者」にはある程度の日本語能力を求めたい(ただし、母語話者レベルは求めない)といったほうが、すっきりする気がします。

 

まとめと参考文献

私自身がまだよくわかっていないこともあるので、現時点での自分の中の疑問点をまとめてみました。

 

「やさしい日本語」について知りたい方は以下の本に詳しいです。

  • 庵功雄(2016)やさしい日本語-多文化共生社会へ (岩波新書)

↑庵は「やさしい日本語」研究グループの代表者でもあります。