フェルディナン・ド・ソシュール
フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure)(1857年- 1913年)は近代言語学の父とも呼ばれます。
ソシュールの理論は、『一般言語学講義』にまとめられています。
これは、ソシュールが1906年から1911年にかけて行った講義の内容をまとめたもので、ソシュールの死後1916年に出版されました。
ソシュールの提唱した概念のうち、この記事では、シニフィアン・シニフィエについて説明します。
シニフィアンとシニフィエ
シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifié)とは、フランス語のsignifier(指し示す/意味する)という言葉からきています。
シニフィアンは指し示すもの/意味するもの、シニフィエは指し示されるもの/意味されるものという意味です。
例えば、下記の絵は「木」です。
英語では「tree」、韓国語では「나무」、フランス語では「arbre」です。
シニフィアン(指し示すもの)とは、「tree」「木」「나무」「arbre」という言語形式(言語表現)のことです。
ソシュールは音響イメージ(image acoustique)といっています。
「tree」「木」「나무」「arbre」ということばをきくと、皆さんの頭の中にその意味「?(木)」が思い浮かぶと思います。
シニフィエ(指し示されるもの)というのは、シニフィアンによって指し示される概念(頭の中に浮かんだ「?(木)」)のことです。
このシニフィアンとシニフィエを合わせて、「記号(シーニュ:signe)」(英語のsign(サイン))と呼びます。
↑このような図でよくあらわされます。言語記号はシニフィエ・シニフィアンとで一セットになっています。
なお、このシニフィアンとシニフィエの間に、必然性はありません。
先ほどの「木」も、別に「木」と呼ばれる必要はなく、「そら」でも「うみ」でもよかったわけです。
「木」を「木」として呼ぶのは、慣習で決められています。
この相互に必然的な結びつきがなく、任意であることを、言語記号の恣意性といいます。
恣意性?有縁性?
この言語記号の恣意性というのは、非常に影響力があったのですが、ただ、言語すべてが恣意性があるのかというと、そうでもないといわれています。
例えば、「さらさら」「くんくん」などのオノマトペは、恣意的とはいいきれないものが多いです。
↑この記事に以前書きましたが、母語にかかわらず、「t」や「k」の音に角ばったイメージを、「m」や「n」の音が柔らかい印象を持つ人が多いそうです。
ソシュール自身も「相対的恣意性(relative arbitrariness)」については言及していて、一定程度のつながり(有縁性)があることもあると言っています。
まとめ
ソシュールのシニフィアンとシニフィエについて簡単に説明しました。
↑一般言語学講義は和訳もいくつか出ています。