バフチンの短いエッセイ読了。発話にはすでに聞き手の存在が含まれていると・・。

この前Bakhtin(バフチン)について紹介しましたが、今回は下記の本のBakhtin (1994)「The Problem of Speech Genres(スピーチジャンルの問題)」という短いエッセイ(英語訳)を読みました(p.80-87)。

  • Morris, Pam, ed. The Bakhtin Reader: Selected Writings of Bakhtin, Medvedev, Voloshinov. Bloomsbury Academic, 2009.

Bakhtinは、言語を話し手から受動的な聞き手への一方通行のコミュニケーションという考え方を否定し、コミュニケーションにおける「他者」(聞き手)の積極的な役割について述べています。そして発話(utterance)を分析の単位として挙げています。発話は話し手が変わるときに終わるそうです。

Bakhtinは、発話というのは、その前に為された会話、その後に為される発話と密接に結びついているといっています。

そして、発話の内容・スタイルを決める要因として、①意味の内容(話したい事柄)、②話し手の主観的・感情的評価・立場(expressive aspect)があるといっています。そして、②の話し手の立場(expressive aspect)というのは、他者なしには決めることができないそうです。

ある発話とは、その前の発話に回答・反応(response)することであるとともに、ある聞き手に向けて為されるものです。

この聞き手は受動的な聞き手ではなく、積極的に対話に参加する聞き手と考えられています。この話し手と聞き手の関係が、話者のスタイルを決めるのに重要な役割を果たすと言っています。発話がある聞き手に向けたものである、ということをBakhtinは「宛名性(addressivity)」と呼んでいます。
例えば、私は今、このブログは自分のメモと、応用言語学に興味を持っている人に向けて書いており、絵文字などを使わず結構真面目に書いていたり、「ですます」を使って書いているのも、この想定する聞き手を反映しているということだと思います。

私が10歳の子ども向けに書いていたら、漢字の量を減らしたり、易しい言葉で書いたりすると思うので、こういった聞き手の存在が、自分の書き方のスタイルに影響を与えるということだと思います。