翻訳の授業 東京大学最終講義
「翻訳の授業 東京大学最終講義」を読みました。
- 山本史郎 (2020) 『翻訳の授業 東京大学最終講義』朝日新書
ディケンズや川端康成、村上春樹などのたくさんの例を出しながら、文芸翻訳の奥深さを説明しています。
本人も「ホビット」や「赤毛のアン」の翻訳など翻訳家としても活躍しているので、自身の経験なども随所に出てきて、翻訳の面白さが伝わる本でした。
以下、個人的にいくつか気になったことを備忘録で書いておきたいと思います。
翻訳研究の今後について
山本はp. 91-92で、これからの翻訳研究は「文学テクスト」を中心にすることになるという大胆な予測をしています。
情報を伝えるのが目的の「実用テクスト」の翻訳は「通訳」の分野になり、「通訳研究」はAI研究に吸収されるという予測です。
具体的には、以下のように書いています。
そして、このような「実用テクストの翻訳」とは、言い換えれば、文書をも含めた意味での「通訳」の領分にほかなりません。つまり口頭・文書をとわず「通訳研究」はAI研究のなかに吸収されてしまうだろう、ということです。(略)
よってこれからの翻訳研究は、実用テクストについては不要となり、「文学テクスト」の翻訳が中心になると予想できます。そして、より根本的には(上に定義した意味での)「文学的」な言語の使い方とは何かを探求していく方向へと向かっていくだろうと私は予測しています。(p. 92)
私は専門ではないのですが、トランスレーション・スタディーズは、文学テクストならず、実用テクストの翻訳(翻訳者の立場、翻訳ツールの利用など)も幅広く扱っていて、その対象とする範囲がむしろ広がっているように感じていました。
また、通訳研究も、時間的制約の中でどの情報を取捨選択するか、ことば以外の含意される意味をどう補うかなどかなり複雑な印象があります。
また、今日読んだThe Economistsの記事(『A new AI language model generates poetry and prose』アクセス日:2020年8月8日)でも、詩や散文を作成できるAIの話などあり、AI研究と文学テクストは関係が深まっていく気もしています。
なので、この予測には驚きました。新書ということもあり、短くさらっと言及していたので、もう少し詳しく著者がこの点を説明している論文などあれば読んでみたいです。
岩野泡鳴と野上豊一郎について
第五章で明治から大正にかけて活躍した小説家の岩野泡鳴と、1883年生まれの英文学者の野上豊一郎を紹介していました。
2人とも、たとえ日本語で不自然に聞こえたとしても、原文の形を尊重すべきという立場だったようです。
日本における翻訳論の議論については、5年前に「日本の翻訳論―アンソロジーと解題」を読んだことがありますが、悲しいことに内容をほぼ覚えていないので、また読んでみたいと思いました。
- 柳父章, 水野的, 長沼美香子.(編)(2010). 日本の翻訳論: アンソロジーと解題. 法政大学出版局.
まとめ
上記2点は私が個人的に気になったことです。
本自体は、日本語・英語のみならず、フランス語・ドイツ語なども時折交えながら、他の言語で表現することの醍醐味をわかりやすく伝えてくれる本でした。