前記事で読みたいといっていたPavlenko(2005)のEmotions and multilingualismを読みました。
- Pavlenko, Aneta. Emotions and multilingualism. Cambridge University Press, 2007.
感情(emotion)関係の文献を分かりやすく網羅していて、読み物としてもとても楽しかったです。以下、面白いと思った点をいくつかメモします。特に第5章から7章はおもしろかったです。
第一言語は感情と深く結びついてる場合が多く、逆に年を取ってから学んだ第二言語は感情とは結びつかない場合が多いという研究報告が頻繁にされているようです。これは自分の経験からも納得できます。
たとえば、心理セラピーでは、第一言語で話すと、感情的になりすぎ、不安をあおってしまうので、第二言語で行うこともあるそうです。Rozensky & Goomez (1983)のデータで、第二言語である英語で診察を受けてていた患者が、「スペイン語で説明してくれる?」と言われた途端に、嗚咽し、何も言えなくなってしまったデータがあったのが印象的でした。(p.165)
また、第二言語だと、汚い言葉に対する心理的抵抗が減るためか、第一言語だときっと口に出さないようなタブー言語を言う人もいるそうです。
その感情というのは社会にも影響を受けていて、Schmid (2002, 2004)のユダヤ人移民の研究によると、ホロコーストの頃に移民したユダヤ人のほうが、まだ戦況が悪化する前に移民したユダヤ人よりも、母語であるドイツ語を喪失する割合が高かったそうです。本では「ドイツ語でもう話したくない」というオーストリア生まれのLerner (1997)の言葉なども紹介されてました。
また、単語レベルの話だと、バイリンガルの人は、両方の言語の影響を受け、モノリンガルの人と違う感情を抱いたりすることも多いようです。例えばPavlenko(2002)のロシア語・英語のバイリンガルに対する研究だと、ロシア語では「プライバシー」という概念があまりないようで、映像を説明するときに、ロシア語モノリンガルの人はperezhivat(「辛いことを乗り切る」みたいな意味だそうです)という言葉をよく使って説明していたのですが、バイリンガルの人は、ロシア語で話しているときも、「一人でいる必要がある」など、プライバシーに関係するようなことを話していたそうです。(p.102)
ちなみに取り上げられている論文も日本語関係のものも結構あって、読んでいておもしろかったです。今はもう変わってきていると思いますが、1990年前ぐらいまでは「非西洋」言語では日本語の研究が圧倒的に多かったのかなと思いました。
そういえば11月23日に白鵬が史上最多の32回目の優勝を飾りましたが、そのときのインタビューで最初に「この場を借りて生中継を見ている両親、またモンゴルの方々に言葉を伝えたいと思います」といって、モンゴル語で話したそうです(参考:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141123-00000035-nksports-spo)。
通訳もいなかったそうなので、モンゴル語を選んだのは白鵬の個人の判断だと思うのですが、あんなに日本語が上手な白鵬でも、感極まったときは母語で話したかったのかもしれないなと思いました。(勿論モンゴルの両親・ファンへの思いもあると思いますが)。