複言語主義(plurilingualism)と多言語主義(multilingualism)
この前CEFRについて説明しました。
この記事では、CEFRで提唱されている複言語主義は、多言語主義とどう違うのかについて、CEFRの記述(p. 4-5)をもとに記載したいと思います。
- Council of Europe (2001). Common European Framework of Reference for Languages: Learning, Teaching, Assessment
なお、この違いの説明はあくまでCEFRに基づくものです。
というのも、多言語主義(multilingualism)は広く使われている言葉で、人によって定義が違うからです。
多言語主義でも、複言語主義と同じような意味で使われているものも散見されます。
なお、複言語主義(plurilingualism)のほうはCEFRで提唱されている造語なので、定義は似通っていると思います。
多言語主義
多言語主義というのは、社会で複数の言語が並存していることを言います。
例えば、以下のようなものがあげられます。
- 学校の外国語科目として、英語だけでなくフランス語、中国語、韓国語などの言語を取り入れること
- 国際会議などで、英語だけでなく、複数の言語を使用言語とすること
要するに社会において、多様な言語が存在することが多言語主義となります。
複言語主義
多言語主義がどちらかというと社会における言語の存在に着目しているのに対し、複言語主義は個人の言語体験に着目しています。
複言語主義では、英語、日本語といった言語が頭の中で、完全に分けられて別個の形として存在しているとは考えていません。
そうではなく、今までの言語知識・経験すべてが相互に作用しながら存在しており、相互補完的な役割を果たしているといっています。
実際に言語を使用するときは、状況に合わせて複数の言語知識を動員してコミュニケーションをとります。
例えば、韓国語がほとんどできない人が、韓国に旅行に行った場合、「日本語」だけ、「韓国語」だけ、「英語」だけを使うのでななく、相手の様子を見ながら、おそらく日本語や、自分の知っている限りの韓国語、英語、ジェスチャーなど様々な言語・非言語知識を用いてコミュニケーションをとろうとするのではないでしょうか。
何か読んだり書いたりするときも、一つの言語を使うのではなく、今まで知っている言語の知識を動員して理解しようとしています。
例えば、日本語が母語、英語が上級、スペイン語が中級の人がいたとします。
その人が新たにフランス語を学ぶ場合は、得意な日本語や英語だけでなく、同じロマンス諸語であるスペイン語から類推して語彙の意味を推測することがあるでしょう。今までの言語知識を補完的に使うことがむしろ普通なのではないかと思います。
それぞれの言語が別のものとしてバラバラに存在しているのではなく、相互に作用し、補完しあっているというのが複言語主義の考え方です。
↑複言語主義についてはこちらの記事もご覧ください。
まとめ
複言語主義・多言語主義の違いについて、CEFRの記載に基づいて説明しました。
大きな違いとしては、多言語主義が社会に着目しており、複言語主義は個人の言語体験に注目しているという点がありました。
さらに、複言語主義では各言語が、個々人の頭の中で別個に独立して存在しているのではなく、相互に補完的な役割を果たしていると考えていました。
最初にも述べた通り、あくまでこれはCEFR内での説明ではあるのですが、参考になれば幸いです。
- 奥村 三菜子・櫻井 直子・鈴木 裕子 (2016) 日本語教師のためのCEFR. くろしお出版
↑複言語主義について詳しく知りたい方はこちらの本もご覧ください。