Blommaert(2007)の以下の論文がJournal of Multicultural Discoursesという学術誌に掲載されていたので読みました。
- Blommaert, Jan. “Sociolinguistics and discourse analysis: Orders of indexicality and polycentricity.” Journal of Multicultural Discourses 2.2 (2007): 115-130.
Blommaertはディスコース分析で最近よく聞く学者で、以下の2冊の本はぜひ読みたいと思っています。
- Blommaert, Jan. The sociolinguistics of globalization. Cambridge University Press, 2010.
- Blommaert, Jan. Discourse: A critical introduction. Cambridge University Press, 2005.
今回読んだ論文では、ディスコース分析をするときに、「このテキストは英語のテキストだ」「日本語のテキストだ」と言う前に、「英語」というのはどういう意味か、一口に英語といっても、社会文化的にいろいろな種類の言葉が含まれてるのではないかと考えることが必要だといっています。
また、以下の2つの点をディスコース分析の際のポイントとして挙げていました。
①orders of indexicality(指標性の階層(?))
指標性(indexicality)はただ何かを指し示すだけではなくて、2つの意味で秩序だったもの(ordered)だと言っています。
まず1つ目はSilverstein (2003)やAgha (2003)が言っているようなindexical orderで、指標性というのはランダムなものではなくて、ある程度ステレオタイプ化しているといっています。例えば、「です」「ます」を使うと丁寧な意味が出ることが多いとか、大阪方言を使って話すと「大阪の人だ」と思うとか、多くの人がある程度似た様な認識を共有する指標性で、いわゆる「レジスター(register)」(特定の場面で使われる言語遣い)と呼ばれるようなものです。
また、さらに、その「レジスター(特定の場面で使われる言語遣い)」間内で上下・善悪の関係が生まれるとBlommaertは指摘しています。例えば、インド英語とイギリス英語だと、イギリス英語の方が「権威がある」とみられることが多かったりとか、上流階級で使われる言葉遣いの方が、市井の人が使う言葉遣いより「上品」とみられることが多いとか、指標性の間にパワーバランスがあるといっています。これをorders of indexicality(指標性の階層にでもなるのでしょうか?ちょっとよくわかりません)とBlommaertは呼んでいます。
②polycentricity
また、Blommaertによると私達は話すときに、目の前にいる相手だけじゃなくて、実際・想像の「中心」である権威に向かってはなしているといっています。文学研究者のバフチンのいうsuperaddresseeに該当するものらしいです。
ちゃんと理解しているかどうかわかりませんが、私が例えばフォーマルな会議でプレゼンをするときには、例えばスーツを着て、丁寧語で話したりすると思うのですが、それは目の前にいる相手に向けたものだけではなくて、「会議では丁寧に話すんだ」という、目に見えない規範・権威にも向けたものでもある、ということなのかなと思いました。
今はその「中心」というのも多数あるといっていました。いろいろな規範があり、場合によって語りかける「中心」たるものが変わってくるということかなとと思いますが、よくわかりませんでした。
上記の本も読んでみたいです。