Paul Grice(ポール・グライス)とは
Paul Griceはオースティンやサールと共に、語用論の基盤を作った学者の一人です。
グライスはオースティンの元で研究を続け、以下の論文で、「協調原理(Cooperative Principle)」を提唱しました。
- Grice, H. P. (1975). Logic and Conversation. In P. Cole, & J. L. Morgan. (Eds.), Syntax and Semantics, Vol. 3, Speech Acts (pp. 41-58). New York Academic Press.
上記の論文「Logic and Conversation」はこの本に収録されています。
- Grice, H. Paul. Studies in the Way of Words. Harvard University Press, 1991.
- P. グライス (著), 清塚 邦彦(訳)(1998). 論理と会話. 勁草書房
↑和訳も出ています。
含意(implicature)とは?
Griceは文字通りの意味と、言外の含意(implicature)を分けて考えました。
例えば、山田さんが同僚の田中さんに、新人社員の佐藤さんの様子(特に会社でのパフォーマンス)を聞いたとします。その際に、田中さんがこう答えたとします。
- 山田:佐藤さんはどう?
- 田中:佐藤さん?ま、少なくともまだ会社を首にはなってないよ。
こういった場合、田中さんが言ったこと(要するに文字通りの意味)は「ま、少なくともまだ会社を首にはなってないよ」ということだけです。
ただ、これを通して、田中さんが言いたかったことというのは、おそらく、佐藤さんのパフォーマンスは低い、少なくとも高くはないということかもしれません。
実際にいったことは「ま、少なくともまだ会社を首にはなってないよ」だけですが、そこには何らかの含む意味があるわけです。
この会話で言われたこと(=文字通りの意味)以外の意味をimplicature(含意)とグライスは呼んでいます。
協調の原理(Cooperative Principle)とは?
人はコミュニケーションをとるときは、よほどの理由がない限り、できるだけ適切にコミュニケーションをしようとし、そのためにお互いが協力しあうことを前提としています。
例えば、以下の会話は変です。
- 山田:佐藤さん、元気にやってる?
- 田中:机の上にペンがあります
普通「佐藤さん、元気にやってる?」ときいたときは、「元気」でも「元気じゃない」でもいいですが、佐藤さんの様子に答えることを期待しています。
「机の上にペンがあります」という関係ない返答をいうことを期待していません。
グライスは、会話をするときは、以下の4つの公理に従っていることを前提としているといいます。
- 量の公理 :必要な情報をすべて提供すること。必要以上に情報を与えないこと
- 質の公理:自分が虚偽と思っていることをいわない。適切な根拠がないことをいわない
- 関連性の公理:関係のあることをいう
- 様式の公理 :不明確な表現をいわない。あいまいなことを言わない。簡潔にいう。順序立てていう。
この前提に基づいて、お互い協調して会話をすることを、協調の原理と言っています。
関係性の公理に反した例
上記の「佐藤さん、元気にやってる?」という質問で「机の上にペンがあります」というと、これは関係のないことをいっているので「関連性の公理」に反しているといえます。
量の公理に反した例
次の例は、量の公理に反しているといえます。
- 山田:佐藤さん、元気にやってる?
- 田中:うん。
これだけだと、質問には答えているものの、山田さんは、佐藤さんがどう元気にやっているか、もう少し教えてほしいと思うはずです。
- 山田:佐藤さん、元気にやってる?
- 田中:佐藤さん、元気だよ。先週末は山登りに1泊2日でいってきたみたいだけど、その翌日は仕事の後に飲み会に行っていたし、そういえば先々週の週末は(続く)
「元気にやってる?」という質問には答えていますが、必要以上の情報を与えてしまうと、これも量の公理に反していると考えられます。
質の公理に反した例
次の例を見てみましょう。
- 山田:佐藤さん、元気にやってる?
- 田中:佐藤さん、病院に行ったみたいだよ。
実は佐藤さんは病院にいっていないのに言ったとしたら、質の公理に反しています。
会話の含意(conversational implicatures)
協調の原理を前提にしているがゆえに伝わる意味のことを「会話の含意(conversational implicatures)」と呼んでいます。
つまり、前提があってこそ、言外の意味もわかるということですね。
この記事の冒頭で挙げた例にもう一度戻ってみます。
- 山田:佐藤さんはどう?
- 田中:佐藤さん?ま、少なくともまだ会社を首にはなってないよ。
「佐藤さんどう?」と言われて「仕事を頑張っている」などと言わず、「まだ会社を首になっていない」というのは、一見、関係性の公理に反しているように思います。
ただ、協調の原理を前提にすると、田中さんは「関係性の公理」に反していないだろうと考えられます。
「関係性の公理」に反していないのであれば、どういうことでしょうか?
「首になっていない」ということは「佐藤さんのパフォーマンス」と関係しているはずで、これを通して、田中さんがいいたいことがあるはずです。
「首になっていない」ということを通して、田中さんが「佐藤さんのパフォーマンス」について言いたいことはなんだろうか。
もしかして、山田さんに「佐藤さんのパフォーマンスが低い」と考えてほしいのではないか、少なくとも山田さんがそう考えることを妨げはしないのではないか。
それが田中さんの含意なのでは?
など山田さんは考えることができるわけです。
勿論、実際田中さんの言いたかったこと(含意)は、「パフォーマンスが低い」以外の可能性もありますが、どういう含意があったとしても、これは「何らかの形で関係しているはず」という、関係性の公理があってこそ考えられることです。
つまり「関係のないことを言わない」という公理がなければ、「佐藤さんはどう?」という質問に対し、「机の上にペンがあります」でも問題なくなるわけです。関係性の公理があるからこそ、相手の答えに対し、なんらかの関係性を見出そうとするのです。
協調の原理を前提に伝わるのであって、それを会話の含意といいます。
ポライトネス理論
ちなみに、こういう公理があっても、当たり前ですが公理を守らなければならないということはありません。
むしろ、そうでないことはよくあります。
例えば、以下の例を見てみます。
- 山田:明日、一緒に遊びにいかない?
- 田中:明日は、用事があるんだ。
これは、「遊びに行かない?」という質問に対し、「遊びに行く」「行かない」と答えるのではなく、明日の用事について答えているので、「関係性の公理」に一見反しているようにみえます。少なくとも直接的に答えていません。
ただ、これは先ほどいった、会話の含意から考えると、「遊びに行かない」という意味だととらえることができます。
以下の例はどうでしょうか。
- 山田:コンサートのチケットが2枚余ってるんだよね。すごくいきたいんだけど、一人ではちょっと行きづらいし。他の人にも聞いたんだけど、みんな忙しいみたいで…
- 田中:じゃあ、私と行く?
ここでは、山田さんは回りくどい言い方をしていて、様式の公理に反しているように見えます。
山田さんが言いたかったこと(含意)は「一緒に行かない?」ということだったのでしょう(少なくとも、田中さんはそう捉えたと考えられます)
どうしてコミュニケーションが成立しなくなるかもしれないのに、こういう言い方をするのでしょうか?
語用論の学者は、これが人間関係を良好に保つために、相手に配慮しているからだと考えました。
この人間関係を良好に保つための配慮を理論化したのがポライトネス理論です。
ポライトネス理論についてご興味がある方は以下の記事もご覧ください。
まとめ
グライスの含意(implicature)と協調の原理(Cooperative Principle)について、私の理解している範囲で簡単にまとめてみました。
興味のある方は原書もぜひお読みください。
また、グライスについては語用論の本にはほぼ必ず出てくると思うので、そちらを読むと理解が深まると思います。
英語の教科書では以下のようなものがあります(他にも「Pragmatics」で検索するとたくさん出てくると思います)
- Yan Huang (2015). Pragmatics (Oxford Textbooks in Linguistics). Oxford University Press
日本語でも以下のような入門書があるようです。
- 山岡 政紀・牧原 功・小野 正樹 (2018). 新版 日本語語用論入門 コミュニケーション理論から見た日本語. 明治書院
↑目次しか見ていませんが、グライスのことやその後のポライトネス理論の発展、日本語の状況などを網羅しているようです。