Subjectivity(主観性)やSubject position(主観的立場)を扱った研究でよく引用されるDavis and Harréの論文を読みました。

Subjectivity/subject position

最近アイデンティティという言葉ではなくて、subjectivity(主観性)やsubject position(主観的立ち位置(訳はよくわかりませんが・・・))などの用語がつかわれたりもしますが、そういうときにDavis and Harréが何度か引用されていて、気になっていたので読んでみました。。下記の本の中にも彼らの論文が掲載されています。今回読んだのは、以下の論文です。

  • Davies, B., & Harré, R. (1990). Positioning: The discursive production of selves. Journal for the theory of social behaviour, 20(1), 43-63.

Harréは以下の本も出版しています。

  • Harré, R., & Van Langenhove, L. (Eds.). (1998). Positioning theory: Moral contexts of international action. Wiley-Blackwell.

 

Positioning

本題のpositioning(位置づけ)というのは、ディスコースの中で自分をどう位置付けるか、ということに関係しています。対話の中での自分の役割と言ってもよさそうですが、ポジショニングは役割よりもっと変化を伴うものだそうです。

Davis and Harréによると、役割理論(role theory)だと、その役割を担う人に求められていることがあらかじめ決められていて、その役割を担う人が話す言葉というのもその役割の範囲内で解釈されることが多いそうです。例えば、「母」と「子ども」が話す場合は、「母」「子ども」という役割に応じて話すということかと思います。

逆に、positioningやsubject position(主観的立ち位置)といった概念は、実際に行われる対話に注目しています。自己は他者と一緒に対話を作り上げていく中で作られていくものであり、対話のその場その場で自らがどういう立ち位置を取るか主体的に決めることができるといっています。同じ対話の中であるときは「母」として、あるときは「社会人」として、あるときは「被害者」として話すなど、いろいろな立ち位置を相手との関係性で決めていくことだと思います。

 

Positioningとfootingについて

☆以下は前紹介したGoffmanのfootingとpositioningについての備忘録です。この2つの概念になじみのない方は分かりづらいかと思いますがご容赦ください。

Davis and Harréによると、Goffmanは役割理論にとらわれていて、positioningとは違うそうです。もちろんpositioning、つまり対話の中で自らの立ち位置を調整することによって、Goffmanのいう、フレームが生まれるかもしれないけれど、それは、ある決められたフレームに自分を当てはめることには必ずしもならないと言っていました。例えば、女性言葉をたくさん使うことによって女性というフレームが生まれるかもしれないけれど、それは女性というフレームに自分を当てはめることではない、ということなのかなと思いました。

positioningはどちらかというとfootingに近いのかもしれませんが、Goffmanのfootingは定義が曖昧で、さらに、footingでは相手に合わせる(alignment)という行為が、実際の対話に先だって存在していると考えられているという点で違うと言っていました。positioningの場合だと、相手に合わせる(alignment)という行為も、あくまで会話の中で作られていくものだと言っています。