Translanguaging
この前からtranslanguagingやmetrolingualismのように、一つの「言語」の存在に疑問を呈し、すべてが単一の有機的な言語リソースと捉える考えを紹介してきました。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
MacSwanのtranslanguagingに対するマルチリンガルな視点
今日読んだMacSwanの論文では、そうやって言語を一つのシステムと考えてしまうと、今までのコードスイッチングなどの研究の意義が薄れてしまうと指摘しています。
- MacSwan, Jeff. “A multilingual perspective on translanguaging.” American Educational Research Journal 54.1 (2017): 167-201.
コードスイッチングというのは、言語(またはその変種)を混ぜて使うことですが、言語を一つのシステムと考えてしまうと、一つ一つの「言語(または変種)」というものが存在せず、一つのシステムから言語資源を選んでいるだけなので、コードスイッチングそのものが存在しないということになってしまいます。
ただ、MacSwanはコードスイッチングしている人は別々の言語を混ぜているという意識があり、言語ごとに違う文法を認識していると指摘しています。
その上で、以下のようなモデルを提示していました。
(上記の論文のp. 180より抜粋)
このうち2つ目の見方がtranslanguagingの考え方ですが、MacSwanはこの図のうちの一番下の立場をとっています。
彼によるとモノリンガルと言われる人はないそうで、マルチリンガリズムは普遍的なことだそうです(「モノリンガル」と呼ばれる人も実際には様々な変種などを習得しているということだと思います。)ただ、文法については共有と別個のものがあると指摘していました。
そしてこれを、translanguagingに対するマルチリンガルな視点と読んでいました。
translanguagingのほうは社会文化的な言語使用に基づいた概念であると思うので、MacSwanのいっているように人間の文法認識能力などについても考慮に入れるとまた違った視点になるのかと思います。
MacSwanの本
MacSwanはコードスイッチングについても執筆しているようです。
- MacSwan, Jeff. Grammatical theory and bilingual codeswitching. MIT Press, 2014.