1940年代~50年代のインドネシア語の確立とその影響に関するFogg (2015)を読みました。

インドネシアの言語状況についての論文について、少し前に紹介しましたが(詳しくはこちら)、また別の論文も読んでみました。

  • Fogg, Kevin W. (2015). The standardisation of the Indonesian language and its consequences for Islamic communities. Journal of Southeast Asian Studies, 46 (1), pp 86-110.

インドネシアでは、オランダ支配下でオランダ語が公用語として使われていたのですが、1942年の日本占領下でインドネシア語が行政の言語として使われるようになり、1945年の独立後はインドネシア語が公用語としての地位を持つに至ります。

特に1940年から1950年代にインドネシア語が急速に国語として確立していくのですが、その意図せぬ帰結の一つとして、ムスリムの指導者たちの権威が弱まる結果となったとこの論文では指摘しています。
その理由としては、インドネシア語の「ヨーロッパ言語化」と、それに伴うアラビア語の影響の縮小があげられるといっています。

19世紀頃までインドネシア語のベースとなったマレー語は、アラビア文字で表記(つまりジャウィ文字(Jawi))されることが多く、このジャウィ文字を読み書きできるマラッカのムスリムのエリート層は権威をもっていました。

ただ、1920年頃にはインドネシア語はローマ字表記が優勢となり、1948年~1956年の間にジャウィ文字表記はほぼ使われなくなったそうです。

さらに、インドネシア語を確立する過程で、新しい言葉もたくさん作ったのですが、新しい言葉を作る際にベースにしたのは、地域語のジャワ語、サンスクリット語、オランダ語が多く、アラビア語はあまり参考にされなかったようです。

また、ジャウィ文字をローマ字表記に変更する過程で、ジャウィ文字では示すことができた子音が表せなくなり、スペルの統一でかなり混乱があった(今も多少ある)そうなのですが、こういったスペルの統一もさらに、インドネシア語の脱アラビア語化(子音の区別を表記上しなくなるなど)に一役買ったといっていました。

こういった一連の流れの中で、依然はジャウィ文字を使って読み書きできたムスリムの指導者層も、新たなローマ字表記の「インドネシア語」を操ることができず、権威を失う結果となったといっています。
この前も紹介しましたが、インドネシアの言語状況については日本語でも本が出版されているようです(読んでいませんが・・)。

  • 森山幹弘・塩原朝子 (2009) 『多言語社会インドネシア–変わりゆく国語、地方語、外国語の諸相』 めこん出版