外国人がいかに日本語に翻訳されてきたかに関するTakatori(2015)を読みました。

外国人(foreigners)がどう翻訳されてきたかを分析したTakatori (2015)の短い論文を読みました。

  • Yuki Takatori (2015) More Japanese than the Japanese: Translations of interviews with foreigners, Perspectives: Studies in Translatology, 23:3, 475-488, DOI: 10.1080/0907676X.2014.964270

この前紹介した中村の本(詳しくはこちら)でも言われていましたが、翻訳では実際の自然会話よりも多く「ジェンダーの終助詞(ぞ、ぜ、わ、よ)」などが使われると指摘されています。

この論文では外国人がどう翻訳されてきたか、その歴史を振り返り、翻訳における過剰なジェンダーの明示化の背景理由などを探っていました。

朝日新聞のスポーツ面の翻訳記事を分析していたのですが、戦前・戦後直後は外国人の発言は概ね「です・ます」調で訳されるなど、日本人と言語的には違いのない形で訳されていたようです(p.479)。ただ、1964年の東京オリンピックのあたりから、女ことばや男ことばで外国人の発言が訳される数が増えていったといっていました

この論文を読む限りは、著者はこういった外国人を過剰にジェンダー化する翻訳に批判的なようで、例えばジェンダーの終助詞等をつけて翻訳することで、外国人をアニメのキャラクターのようにしたりとか、その人のイメージを構築したり、異なったものにすると言っていました。また、社会におけるジェンダー・イデオロギーを浸透させるのにも翻訳が一役買うことになるとも言っていました。(p. 484-485)

 

  • 中村桃子 『翻訳がつくる日本語-ヒロインは 「女ことば」 を話し続ける-』, 白澤社, 2013.