Reflection(内省)について調べていたら、Reflexivity(再帰性)についての本に出会いました。

あるデータで学習者のreflection(日本語だと「内省」になりますかね?)をどう分析すればいいのか考えていたら、以下の本を見つけました。最近は「reflexivity(再帰性)」と言う言葉でよく語られることもあるみたいですね・・・。

  • Clark, Julie S. Byrd, and Fred Dervin. Reflexivity in language and intercultural education: Rethinking multilingualism and interculturality. Vol. 2. Routledge, 2014.

ちなみにDervinは精力的に活動している文化間教育関係の学者です。前紹介したByramのことも結構批判しています。

Reflexivitiy(再帰性)は、学問ごとに様々な使い方をされているようなのですが、私は「自己の存在が、相手の存在に影響を及ぼし、その相手の存在がまた自分の存在に影響を及ぼし、それがまた相手の存在に影響を及ぼし・・・という永遠に続くプロセス」と理解しています。

例えば、60歳のおばさんが20歳の若者に恋愛についてインタビューをした場合、その若者の答え方やしぐさというのは、同い年の若い女性に同じ内容をインタビューされた場合とはきっと違う(可能性がかなり高い)と考えられます。

つまり、この場合、60歳のおばさんの存在そのものが、その若者の答え方やしぐさにも影響を及ぼしたと言えます。若者は「おばさん」と「インタビュー」という場面で行ったということに基づいて、この会話を理解します。

また、その若者の答え方やしぐさが、また60歳のおばさんの話し方、インタビューの仕方にも影響を及ぼすことになり、これが繰り返されることかなと思っています。

そう理解してたのですが、上記の本の序章だけぱらぱら読んでみると、もっと広い「内省」に近い意味で使われている気がしました。

 

 

彼らによると、reflexivityは以下のようなものらしいです。

a multifaceted, complex, and ongoing dialogical process that is continuously evolving (p.2)
継続的に発展し続ける多面的、複雑な進行中の対話的プロセス

さらに、reflexivityを考える際には、multimodalityを考えなければならないそうです。multimodalityとは、言語だけじゃなくて、視聴覚イメージを含めた様々なものです。例えば新聞記事だと、言語だけじゃなくて、そのレイアウト、写真の位置、紙ざわり、大きさなどが入ります。

もちろん幅広い要因を様々な側面から考えることは大切なのかなと思いますが、そうするとそれはそれで、一体reflexivityとは何なのか逆に捉えづらくなってしまう感もありますね・・・。