今回読んだ論文
昨日の記事の続きです。今回は昨日のHasegawaの論文に反論するCookの論文を読みました。
- Cook, Haruko Minegishi (2012). A response to “Against the social constructionist account of Japanese politeness”, 8 (2), 269-277.
Cookはハワイ大学マノア校の教授で、社会構築主義の立場からポライトネス関係で以下の本をはじめ多数執筆しています。
- Cook, Haruko Minegishi. Socializing identities through speech style: Learners of Japanese as a foreign language. Vol. 32. Multilingual Matters, 2008.
Cookの反論―社会規範について
Cookの反論―独り言モードについて
また、Hasegawaの論文では、Cookのデータでの敬語の不使用は、「独り言(soliloquy)」モードのときであり、いわゆる本当の意味の丁寧体から普通体のシフト(要するに「です/ます」から「です/ます」の非使用への移行)はなかったといっていました。
ただ、Cookは「独り言(soliloquy)」モードかどうかというのの判断は、文脈で見るしかないわけであって、言語そのものをみただけではわからないと言っていました。また、「真の(genuine)」の丁寧体・普通体のシフトが何かという点についても疑問を投げかけていました。
Cookによると、同じすし屋の会話でも、客が寿司職人を見ながら「おいしい」といったら、「独り言」ではないといえるし、また、同じ「おいしい」でも、客が寿司職人を見ずにつぶやき、それに職人が返答しなかったら「独り言」になるといっています。
でも、客が「おいしい」と寿司職人を見ずにつぶやいた場合でも、職人が「おいしかったですか」など返答すると「独り言」にならないとみなされないのではといっていました。
つまり、Hasegawaの論だと、「です/ます」で話している会話で「おいしい」というと、それは「独り言(soliloquy)」モードになるという説明になるかと思うのですが、「おいしい」などの終助詞などのない言語の形(「naked plain form」と言っていました)が「独り言」モードなのというわけではなくて、「独り言(soliloquy)」モードかどうかの判断は常に文脈を見ながら考える必要があるといっていました。(その上で自らのデータを分析し直していました)