以下の本の中のBlommaert and Backus(2013)の以下のチャプターを読みました。
- Blommaert, J. and Backus, A (2013), ‘Superdiverse repertoires and the individual’, in I. de Saint-Georges and J. J. Weber (eds), Multilingualism and Multimodality: Current Challenges for Educational Studies, Rotterdam: Sense Publishers, pp.11-32.
Blommaertについてはもう何度かこのブログでも紹介しています(前回記事①、前回記事②など)。
この論文では「レパートリー(repertoires)」について議論していました。レパートリーは、ある人が持っている能力や知識の範囲のことを指します。レパートリーは、社会言語学でよく使われる概念で、「linguistic repertoires(言語レパートリー)」といえば、あるコミュニティのメンバーが持つ言語リソースを指すことが多いようです(Gumperz & Hymes 1972 (1986))。
ただ、Blommaert and Backusは現在は、人々は様々なコミュニティー、グループ、ネットワークに属し、その中で、教室での学習からインフォーマルな形での言語接触まで、様々な形で言語に接し、学ぶようになっているといっています。そして、この一つ一つの言語学習・接触が個々人を形作る大切な役割をしているといっていました。
従来はレパートリーというと言語リソース、知識、コミュニティとの関連性で語られてきました。ただ、Blommaert and Backusは、言語レパートリーとコミュニティとの関連に異論を唱えます。
彼らによると、言語レパートリーというのは、「indexical biographies(指標的ビオグラフィー(経歴))」、つまり個々人が辿ってきた軌跡を示すものだそうです。そして、言語レパートリーの分析というのは、その言語リソースを使う「コミュニティ」を探るためものではなく、個人の主観性(subjectivities)を探るためのものではないかとも言ってました。
以下は、私の理解した範囲で、日系ブラジル人Aさんの例で考えてみます。
従来ならば、「ブラジル日系人コミュニティ」は「ポルトガル語」と「日本語」を話すので、日本に住む日系ブラジル人のAさんは「ポルトガル語」と「日本語」というレパートリーを持っている、というふうに、コミュニティと言語リソースをを関連付けて考えられていたということだと思います。
ただ、この論文では、そうではなくて、言語レパートリーを紐解くことで、個人の辿ってきた道のりが分かるといっています。例えば、その同じAさんは、ポルトガル語のサンパウロ方言を話し(サンパウロで生まれそだったから)、ポルトガル語の標準語は流暢に話せ、読み書きもできる(それはAさんがポルトガル語で教育を受けたから)。日本語は話せるが読み書きができないが(日本語では教育を受けていないから)、関西弁も少し分かる(関西に住んでいたことがあるから)など、言語レパートリーを分析することで個人のことがかなり分かるということだと思います。