Gillespieの前記事の続きです。彼の紹介していたintersubjectivityの研究についてメモします。
元になる動画は以下のものです。
- Gillespie, Alex (2011) Identity, intersubjectivity and methodology
彼の紹介していたintersubjectivityの研究は、ある話者が「自分と他者についてどのように捉えているか」「他者が自分のことをどう思っていると思っているか」などを、会話の中で他者がどのように引用されているのかを見ながら分析していました。
例えば、Gillespie(2006)の研究では、観光客とインド北部のチベット系のラダックの人とのグループディスカッションを分析していました。
あるラダックの人がこのようなことをいっていたそうです。
「『仏教徒なのに肉を食べるんだ』と観光客がいって、その時恥ずかしくなった」
実際に観光客が『仏教徒なのに肉を食べるんだ』といったかどうかともかく、このラダックの人は、「観光客が『仏教徒なのに肉を食べるんだと思っている』と思って」おり、その「他者が自分のことをどう思っていると(自分が)思っていること」について自分は「恥ずかしい」と捉えた、ということになります。
ちなみに、これをメタ認知(「他者がどう思っていると思っているか」)、メタメタ認知(「他者がどう思っていると思っているかについて、自分がどう思っているか」)などというそうです。
メタ(meta)はもともとは「一歩退いて」という意味があるらしく、つまり「自分・他者の考えていることを、一歩外から見る」、つまり「自分・他者の考えていることについて考える」ということです。
つまり、メタ認知だと、「自分・他者が実際に考えていること」じゃなくて、「自分・他者が考えていることについて考える」、メタメタ認知だと、「『自分・他者が考えていることについて考えた』ことについて考える」、ということになります。完全に頭がこんがらがります。
Gillespieによると(引用:Moscovici(1976/2008) Gillespie(2008))、いつも他者との共通知識・理解が生まれるのではなく、受け入れられないものには、相手をブロックしなければならず、以下のような「semantic barriers(語彙的バリアー)」、要するに、相手をブロックする「言葉の楯」のようなものがあるそうです。
例えば、上の「『仏教徒なのに肉を食べるんだ』と観光客がいった」ことについて、これをブロックするためには以下のような「言葉の楯」を使うことができます。(例は私自身のものです)
- Bracketing(括弧で囲んでしまう)
「彼らはそう思ってる」「彼らはそう考えてる」と相手は相手、と距離を置く。 - Undermining the motive(相手の目的・真意を傷つける)
「観光客ってのはだいたいそういうアホな質問をするんだ」と、相手の真意を馬鹿にする。 - Ad hominem/stigma(相手の言っていることじゃなくて、相手の個性・考えを攻撃する)
「あいつらはバカな奴らだから」とか相手を攻撃する。
このsemantic barriersを使うことによって、自分のアイデンティティを守りながら(自分のアイデンティティが影響を受けることなく)、他者と接触することができるといい、「接触のない接触(contact without contact)」が可能となると言っていました。上のsemantic barriersは(自分の使用も含めて)よく見聞きする気がします。
intersubjectivityというのは、データを分析するときにかなり便利な視点にはなりそうだなと思いました。あまりintersubjectivityに注目してデータを見たことがなかったので、ちょっと考えてみようと思います。
Gillespieは以下の本の編者も務めています。
- Zittoun, Tania, and Alex Gillespie. Imagination in human and cultural development. Routledge, 2015.