批判的ディスコース分析で有名なvan Dijkの講演動画を視聴しました。

批判的ディスコース分析で有名なvan Dijkの動画がアップされていたので見てみました。van Dijkについてはこのブログでも何度か紹介しています(前回記事①前回記事②)。ロシアのサンクトペテルブルグ・ヨーロッパ大学での「ディスコースと知識」という題の講演です。移動中に聞いたので曖昧・細切れな部分も多いですが、自分の理解した範囲で記録しておきます。

  • Van Dijk ”Discourse and Knowledge”. Lecture presented at European University at St Petersburg 2013年4月18日


この講演では、ディスコースと、社会制度・構造を結ぶ役割を果たすものとして、心理・認知面をあげていました。
この前の本にも書いていましたが(前回記事①)、van Dijkはコンテクストというのは客観的な状況・場面なのではなくて、人々がその状況・場面についてどう解釈しているかという「メンタル・モデル」だといっています。例えば同じ教室にいても、ある学生にとっては「学び場」、ある学生にとっては「退屈な場所」であり、教師にとっては「仕事場」になり、人がどう解釈しているかによってコンテクストは異なるということだと思います。

なので、こういった社会的な場であるコンテクスト(状況・場面)を理解するには、人々がどうコンテクスト(状況・場面)について解釈しているかを知ることが必要で、その解釈の手がかりになるのが、人々の発話(ディスコース)ということになるのかなと思います。

この講演のタイトルは「ディスコースと知識」だったので、知識についても触れていて、私達は知識というのを①日々の経験・体験と、②見聞きするディスコース、そして③これに基づく自らの推論という3つから得ているといっていました。van Dijkによると知識というのは、裏付けのある信念(justified belief)だそうです。

また、私達はテキストを読むときに、莫大な量の一般知識を使って読んでおり、コンピューターの自動翻訳がうまくいかないのもこういった莫大な知識がないのが一因だといっていました。

ディスコースに関しては、メタファー(比喩)についても述べていて、メタファーを使うことで、抽象的な事柄も実際に体験したかのように感じられる(embodied)といっていました。例えば、移民について語るときに、「移民の波」や「移民の侵入」などというメタファーを使うと、「すごい量」という感覚や「侵入される」という恐怖が(多くの場合は無意識に)植え付けられていくと言っていました。何かを説明するときも、ただ「人が死んだ」というよりも、「足が空中を舞っていた」といった方が具体的に感じられ、人が物事についてどう表現しているかも重要といっていました。

  • Van Dijk, Teun A. Discourse and knowledge: A sociocognitive approach. Cambridge University Press, 2014.