日英モダリティに関する黒滝(2005)の「DeonticからEpistemicへの普遍性と相対性」を読みました。

黒滝(2005)の本

少し前の記事でモダリティについて説明しましたが(詳しくはこちら)、日英のモダリティを対照比較した以下の本を読みました。

  • 黒滝真理子 (2005) DeonticからEpistemicへの普遍性と相対性 – モダリティの日英語対照研究. くろしお出版

 

英語のモダリティ

英語のモダリティは「denontic」と「epistemic」に分けることが多いようです。

  • deontic modality
    denonticは「義務的」という意味で、「勉強しなければならない」「行ってもいい」「英語を話せる」など、拘束、義務、許可、能力などを表すモダリティです。
  • epistemic modality
    epistemicは「認識的」という意味で、「彼は来るだろう」、「彼は来るかもしれない」、「彼は来るに違いない」など話し手のある事柄に関する確信の度合を示すモダリティです。

 

黒滝の論点

黒滝は日本語のモダリティもこの2分法を援用できるといっていました。

この本ではいくつか論点がありましたが、私が面白いと思ったのは以下の点です。

①モダリティはよく「話し手による発話時の心的態度」といわれますが、特に日本語の場合はどこまでが「心的態度」、「話し手の主観」なのかを判断するのは難しいと黒滝は言っていました。例えば「○○さんは大学生らしい」というような「らしい」は状況によって主観的とも客観的とも捉えることもでき、何をもって主観というのかは曖昧な部分が多いということだと思います。黒滝は日本語のモダリティは(話し手の主観ではなく)「非現実事態を語る文法手段」と捉えたほうがいいのではと言っていました。

②英語のモダリティは多義的だそうです。つまり同じ「must」でも、義務的モダリティにも認識的モダリティにもなり得ます。

  • you must take an exam tomorrow (明日テストを受けなればならない) (義務的モダリティ)
  • he must be Tom’s brother(彼はトムの兄のはずだ)(認識的モダリティ)

例えば、上の例のように、同じmustでも義務的・認識的モダリティどちらにも使えます。

また、英語の場合は義務的モダリティが認識的なものにも拡大して使われるようになったと言われているようです(Sweetser 1990:49-50, 黒滝 p. 81)。つまり、「you must take an exam tomorrow」のように現実世界における意味が、「he must be Tom’s brother」のように話し手の内的世界にも拡大して使われるようになったということらしいです。

逆に、黒滝によると、日本語のモダリティは単義的だそうです。上記の訳でも分かる通り、日本語の場合は「~なければならない」という義務的モダリティを「he must be Tom’s brother」のような認識的モダリティを示すために使うことはできず、基本的に認識モダリティと義務的モダリティで別の表現を使わなければなりません。

また、黒澤は、英語とは逆で、日本語の場合は認識的モダリティが発達しており、これをもとに義務的モダリティが派生しているとも指摘していました。

あまりモダリティについて詳しく考えたことがなく、読んでみて確かになと思うところと、すぐに判断できかねるところとがありました。他の本も読んでみたいですね。