以下のBarnett (1997)の本を読んでいます。最近「批判」をテーマに調べると、教育学の分野の文献ではかなり引用されているようです。
- Barnett, Ronald. Higher education: A critical business. McGraw-Hill Education (UK), 1997.
内容はまた読み終わったときに紹介できればと思いますが、備忘録としていくつか忘れないうちにメモしておきます。
- ポストモダンにはかなり批判的なようです。ハーバーマスを引用しながら、ポストモダンは「真実」や「正しい」といった概念を否定するため、相対主義に陥りかねず、①そしてそれが結局は支配的な議論に気づかぬうちに与する結果となる、②異なる考え方の間の対話の機会がない、と言っていました(p.25)。ポストモダンは批判性の喪失につながると強く批判していました(p.29)。
言語教育でもそうですが、かなり実生活と結びついている分野では特に、ポストモダン思想だと現実には立ち回らなくなることが多々あり、批判を受けやすいのではないかと思います。
- ただ、堂々巡りな議論になってしまいますが、この「批判性」というのは結局は「民主主義」や「平等」という価値観の普遍性に依拠しているわけで、こういった根本的な概念そのものを否定する「批判性」に関して高等教育がどう対応するのかまでは(少なくとも私が読んだ範囲では)あまり議論していないように思います。
Barnettは批判性のレベルを挙げていて、一番高いレベルとして、知識そのものの批判、自己の再構築、批判的行動(共同的な世界の再構築)などと書いています(p.103)。また、この本の冒頭で、天安門事件で一人戦車の前に立ちはだかった青年をこの批判的行動の例として挙げています。
ただ、彼の批判性のレベルだけを見ると、実際に「民主主義」や「平等」という根本にある価値観を批判するものをどう捉えるのかという疑問が出てきます。例えば、ジハーディージョンは「民主主義」という概念を「批判的」に捉え、自己を(おそらく)再構築し、イスラーム国に参加し、人質を殺害するという「行動」を起こしています。彼は民主主義の根本的価値観を覆す考え・行動をしているわけですが、こういったある意味根本的な民主主義に対する「批判性」ついて高等教育はどう対処すればいいのか、この本では明確には示していないように思います。
これが出たのは1997年ですがその後、議論がどう発展しているのか気になります。