前に紹介したKramsch(2009)のMultilingual subject の続きです。
- Kramsch, Claire J. The multilingual subject: What foreign language learners say about their experience and why it matters. Oxford University Press, 2009.
この前の記事で、Kramschは言語をsymbolic formとみなし、2つの役割があると言っていると書きました。
1つ目は①「客観的な現実」を表す役割で、2つ目は②「主観的な現実」を表す役割でした。
Kramsch(p.8-p.13)は、この2つ目の言語の役割については、言語学ではオースティンのスピーチアクトの発話媒介行為(perllocutionary act)、社会学ではブルデューの「rituals」、記号学では、ロラン・バルトの「myth」でも説明されてきたといっています。フランスの学者が多いのは、Kramsch自身がフランス語話者というのと関係しているのでしょう。
①オースティン perlocutionary act(発話媒介行為)
オースティンは言語学の大家の一人ですが、上記の発話媒介行為というのはは、「ある言語行為を通して成し遂げられた行為」という意味です。どういうことだ?という感じですが、例えば、窓のあいた教室で「寒いね」とAさんがいい、それを聞いたBさんが窓を実際に閉めたとすると、発話(「寒いね」)を媒介して、行為(「窓を閉める」)が成し遂げられたわけで、この行為(「窓を閉める」)が「発話を通して成し遂げられた行為」、すなわち「発話媒介行為」となります。
これをKramschの上記の②の言語の役割と関連付けて考えると、「寒いね」という発話は、その言葉の客観的な意味(「話し手が寒いと感じていること」)だけでなくて、聞き手に主観的な現実(「ああ、窓を閉めた方がいいかな・・・・」)という気持ちを呼び起こしたということになるのでしょう。
②ブルデュー ritual(儀礼)
ブルデューも言わずと知れたフランスの学者ですが、彼はLanguage and Symbolic power (1991)で、ritual(儀礼)について説明しているそうです。
例えば毎日のように流れるCMは、情報を伝えたり、視聴者を楽しませたりするだけでなく、商品を売るのが目的であり、毎日ritual(儀礼)のように繰り返しCMを流すことで、その商業的利益を伸ばそうとしています。
CMの例だけでなく、例えば「元気」「うん、元気」といったような普段するさりげない「ritual(儀礼的)」な会話も、元気かどうかを聞くだけじゃなくて、それを通して、相手といい関係を築いたり、フレンドリーな印象を与えたりすることを目的としているといっています。
これも、言語の指し示す「客観的な現実」(上記の例だと、「商品の内容や説明」、「元気という事実」)を超えた、主観的な感情や態度、価値観(上記の例だと、「この商品を買いたいな」「この人はフレンドリーだな」という気持ちなど)を生み出していると言っています。
③バルト myth(神話)
ローラン・バルトもMyth Today (1957)で、myth(神話)という概念を説明していて、Kramschによると、これも言語の②の役割に関連しているそうです。
例えば、「赤ワイン」はただ「ブドウからできたワイン」という意味を超えて、「フランス性」を表現するものでもあるといっています。たぶん「さくら」というと、ただの「さくら」という意味を超えて、「日本人性」などを表すことが多いのと同じだと思います。バルトは「myth」という言葉でこれを表し、こういった「myth」が私達の考えに影響を及ぼしていると言っています。
Kramschによると、言語はこのように「客観的な現実」だけでなくて、「主観的な現実」を表す役割もあるといっています。
ちょっと読んだだけなのでなんともいえませんが、一口に「主観的な現実」といっても、上の三つはそれぞれ違うことを言っているような気がして、1つにまとめてしまっていいのかな?という気もしました。