日本の国際基督教大学のジョン・マーハの以下の論文を読みました。
- Maher, John C (2005). Metroethnicity, language, and the principle of Cool. International Journal of the Sociology of Language, 175/176, 83-102
ジョン・マーハは主に日本を対象にした多言語主義やバイリンガリズム等の研究者です。以下のような本も出しています。
- ジョン.C・マーハ、本名信行編著(1994)『新しい曰本観・世界観に向かって-日本における言語と文化の多様性』国際書院.
今回読んだ論文では、「metroethnicity」という概念を提唱していました。
彼によるとmetroethnicityは、様々なエスニシティ背景の人が様々な文化を取り入れ、文化/エスニシティを寛容し、多文化なライフスタイルを送るという、ハイブリッドな「ストリート」エスニシティと言っています(原文は以下のとおりです)。
a reconstruction of ethnicity: a hybridized “street” ethnicity deployed by a cross-section of people with ethnic or mainstream backgrounds who are oriented towards cultural hybridity, cultural/ethnic tolerance and a multicultural lifestyle in friendships, music, the arts, eating and dress. (p. 83)
Maherによると、「アイヌ」の人が「アイヌ」としてのエスニシティを守るためアイヌ語を学ぶといったような、伝統的な「エスニシティ」の捉え方が変わってきているといっています。このエスニシティの再構築の場では、言語やエスニシティを「クール」なものとしてとらえ、美的感覚で様々なエスニシティを取り入れているといっていました。
metroethnicityでは、「アイヌ」の人がアイヌ語ではなくイタリア語を学び、アメリカのラップを聞き、沖縄の音楽を聴くというのも問題ないということになります。また、「日本」の人が「アイヌ」がかっこいい、「沖縄」がかっこいい、「アジア」がかっこいいと様々な文化を生活の中に取り入れたりするような動きもあるかと思います。
勿論一部ではそういう動きはあるのかなとは思いますが、これだけ読むと、そうではない動きが見えてこず、日本の背景を知らずに読む人には誤解を招く可能性もあるのではないかなとちょっと思いました。まあ読む側のリテラシーの問題かもしれませんが・・・。それから、「クール」という基準にもかなりの言語間・エスニシティ間のパワーバランスが働くわけで、この分析をしてみると面白いかもしれないと思いました。
関係ないですが、最近見た「ベイマックス(Big Hero 6)」というディズニーアニメでも、「日本的」要素がふんだんに取り入れられていました。日本に対する理解を深めようとか、その他の特定の政治的意図があって日本的要素が含めているわけではなく、ただ、違うテイストで「cool」だからという理由で入れられているような印象を受けたので、これもmetroethnicityに入るのかなと思いました。
- ベイマックス(Big Hero 6)