応用言語学とは関係ないですが、西久保瑞穂監督(2014)の「ジョバンニの島」を見ました。
太平洋戦争末期から終戦直後にかけての北方領土の色丹島を舞台にした話で、小学生の純平の視点で話が進みます。ソ連の占領以降、財産が没収され、家や学校にもソ連からの移民に乗っ取られ、漁業は禁止されと厳しい生活を強いられるのですが、小学生の純平とその弟の寛太はロシア将校の娘のタニャと友情を育んでいきます。
でも、それもつかの間、島民は島からの退去を余儀なくされ、樺太の収容所に移動してからも栄養状態も悪く過酷な生活が続き・・・というストーリーです。
- ジョバンニの島(2014)
印象に残っているのは、学校の教室の半分(以上?)をソ連の移住者に明け渡さなければならなくなったことを子供たちが知ったときのシーンです。ある子が「露助のこども、いろは習うんだべか」と軽口をたたき、それに続いて純平が「それとも俺らがロシア語になるんだべか」(セリフは多少違うかもしれません)と言った途端、クラスが静まりかえり、気まずい雰囲気が流れました。占領され、言語も押し付けられる可能性が、現実味を帯びていたからだと思います。「ロシア語を習う」ではなく「ロシア語になる」という言葉も効果的に使われてると思いました。
子供が「ソ連の子供たちと色丹の子供たちがお互いの言葉の歌を歌いあったりする姿や、タニャや寛太、純平が言語を学び合うする様子も描かれていて、以前書いたプラットの「コンタクト・ゾーン」とはこういう場所のことを言うのかなと思いました。
映画自体はソ連を完全な「悪者」として描かないように気を遣っているように思いました。