Blommaertについては何度か紹介しましたが(詳しくはこちら)、今回は以下の論文を読んでみました。
- Jan Blommaert, James Collins, Stef Slembrouck (2005). Spaces of multilingualism. Language & communication. 25 (3), 197–216.
この論文では(多)言語能力やスキルというときに、あたかもそれは個人が持っている能力で、場所を関係なく発揮できるというニュアンスで使われることが多いと指摘していました。
ただ、Blommaert et alによると、(a) 人々が何ができるか (b)自らの社会的/言語的スキル・リソースの機能・価値 (c)自らのアイデンティティは、場所(スペース)によって変わるもので、所変わらず発揮できるといったものではないといっていました(p.203)。
例として挙げられていたのがWillaert and Creve (2005)のベルギーの学校における研究で、移民の子供がいくら東ヨーロッパ言語、アフリカ言語やトルコ語ができたところで、クラスではそれに価値が置かれることはなく、「非言語」として取り扱われてしまうといっていました。(もちろん学校外では価値がある言語になりますが)(p.211)
学校・近所・国などの様々な場所(スペース)には、そのスペースの「階層(scale)」があり、どの言語が価値を持つかというのはその人の置かれた状況(スペース)に変わるということだそうです。例えば上のベルギーの子供の例だと、家の周りのトルコ移民の多い近所だと、トルコ語はその近所という場所の階層(scale)の中で上位になり、価値がある言語となりますが、ベルギーの学校というスペースでは階層の下のほうに位置し、価値を見出されないということだと思います。
こういう階層に注目することで、マクロ社会とミクロな日々の日常を結びつけることができるのではとも言っていました(p.213)。
またこのスペース・階層(scale)の分析枠組みとしてGoffman(ゴフマン)とブルデューを挙げていました。
確かに多言語主義に関する本を読むと、多言語話者・子供たちが様々な言語を使って生活しているとか、ミクロな視点で研究しているものは多くあっても、こういう「スケール(階層)」に注目したものは、センシティブなこともあってかあまり見当たらないような気もします。
2010年に出た下記の本も時間があれば読んでみたいですね。
- Blommaert, Jan. The sociolinguistics of globalization. Cambridge University Press, 2010.