池上(1981)の「「する」と「なる」の言語学」の続きです。翻訳する際にも役に立ちそうです。

ちょっと前に紹介した池上の「する」と「なる」の言語学ですが(詳しくはこちら)、総論とは別に個人的におもしろいなと思った点を記録しておきます。

  • 池上嘉彦. 「する」 と 「なる」 の言語学. 大修館書店, 1981.

仔細ですが、よく英語を翻訳していて訳しづらいなと思うことが多々あるのですが、これを読んで、ああ、なるほどと思うことも多々ありました。

1つの印象深かった例は、「This experience taught John how to behave (p.276の例)」です。こういう抽象的に聞こえる文を英語でよく目にしていて、訳すときに「経験がジョンにどうふるまうかを教えてくれた」なんてすると大仰に聞こえてしまって、どうしたものかと悩むことが多いのですが、池上は、これを英語は行為動詞がよく「抽象」体を主語に置くの対し、日本語はそれはあまり普通ではないからだと説明しています。(p.276)

例えば、日本語では「教える」という行為動詞だと、「私が教える」とか「先生が教える」とか「私」「先生」のような具体的な行為者が主語になりますが、英語の場合は、I teach, the teacher teachesという「I」や「teacher」のような具体的な行為者だけでなく、「experience」のような抽象的なことも主語によくなるそうです。

私はただ「訳しづらいなあ」で終わってしまうのですが、こういう風に理由をつけてくれると「ああ、確かにそうかも!」と思いますね。こうやって体系立てて考え、理論立てていける人というのは心から尊敬します。