デンマークのロスキレ(Roskilde)大学教授のKaren Risagerの以下の本の第9章だけ読みました。彼女も言語文化教育などで時折名前を聞きます。
- Karen Risager (2006) Language And Culture Pedagogy: From a National to a Transnational Paradigm (Languages for Intercultural Communication and Education). Multilingual Matters.
この本の全体としては、「言語と文化は切り離せない」という一見当たり前とも思える考えにメスを入れ、言語と文化が必ずリンクしているわけではなく、別に分析できるのだというようなことをいっているようです。
その手立てとして、language, languaculture (アメリカの人類学者Michael Agarの言葉らしいです)とdiscourseという概念を出しているそうです。おそらくlanguageというのが言語そのもの、languacultureとdiscourseが言語と文化を繋げるようなものということなのではと思いますが、詳しくはよく分かりません。時間があれば読んでみようと思っています。
さて、今回読んだ第9章は、「The intercultural competence of the world citizen(世界市民の文化間能力)」という題で、前回も紹介したByram(詳しくはこちら)(1997)の文化間能力を広い視点から捉えようとしていました。前も言いましたがバイラムの文化間能力は言語教育では影響力を持っています。
Risagerは、Byramの文化間能力の問題として以下のようなものを挙げています。
- 文化能力と言語能力が別個に取り扱われている。
- 「能力」の概念が狭い。能力に独り言は含まれないし、また標準語を基準にしているため方言なども扱いづらくなる。また、能力は客観的に測るものという実証主義的なイメージがぬぐえない。
なので、languacultureとdiscourseという概念を使って、文化能力と言語能力を繋げるような形で10個ぐらい文化間能力の要素を挙げていました。またリソースという言葉を使って、使う能力だけでなく、自らが持っているリソースも増やす必要性も述べていました。(p. 227)
ただ、10個もあると(少なくとも私は)把握しきれなくて、実際にクラスで応用しようとすると難しいなと思いました・・・。Byramのは半分の5つなので、クラスで応用する場合はそっちのほうがまだ分かりやすいような気もします・・。