応用言語学とは直接関係はないですが、イスラーム政治思想で有名な池内恵の「書物の運命」を読みました。
- 池内恵「書物の運命」. 文藝春秋 2006
池内恵はメディア出演も多いですし、著作も話題になるものが多いのでご存じの方も多いと思います
私も中東専門では全くないですが、「中東・イスラーム学の風姿花伝」という池内のブログはちょくちょくお邪魔しています。
個人的に池内のブログで役に立つなと思うのは、データをきちんと分析し、その根拠も明示してくれているところです。例えば、「「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している」というタイトルの記事では、引用した脅迫ビデオ、NHK WorldやBBCアラビア語等も載せているので、反論があればそれを見て反論できるようになっています。刻々と変わる時事に関してこういう分析を提供してくれるは有難いです。
あと学者の研究姿勢についても結構厳しいことをいうので、自戒もこめて役に立ちます。
今回読んだ「書物の運命」は3部構成で、第1部は「古典と現代」という題で「ルバイヤート」などの古典から塩野七生や高木徹などの最近の本を含めた書評、第2部はエジプトについてのエッセイ、第3部は主に読売新聞の書評委員(2004年~2005年)を務めていた時の書評をまとめたものです。
いくつか読んでみたいなという本もあり、参考になりました。こういう育ち方をしたんだという池内の生い立ちが垣間見える部分もあったり、エジプトのエッセイのところは、エジプトに合計数カ月いたこともあるので、池内に比べるとエジプト経験は浅いものの、「ああ、わかるなあ」と共感できるところもあったりで、興味深く読みました。
それから、全体的に「他者」というテーマにかなり興味を持っているんだなという印象を受けました。池内は日本人がイスラーム教に取り組むと頭が割れることになる。割れた頭を繋ぎ合わせるかが問題だといっていました(p.85)。これは最近読んだ人類学者ギアツ(Geertz)の論文(詳しくはこちら)の「解釈」にも通じるところがあるのではないかなと思いました。
後、仔細なところですが、第3部の吉岡『反・ポストコロニアル人類学』についての書評で、ポストコロニアリズム論について「ポストコロニアリズム論が出てくるにはそれなりの理由があったが、問題は議論が単なるレッテル貼りや烙印押しに堕していったことだ」(p.273)と言っていて、それはその通りだなと思いました。自分もそうなので反省すべきところは多々ありますが、「ポストコロニアリズム論」を提起した人の中では輝きがあるものも、他の人に消費されていく中で陳腐な、過去の研究に対する安易な批判道具となることが多々あると思います。