前回に引き続きプラット(Pratt)についてです。今回は「地理政治学への招待」という講演を視聴しました。

前回記事(2015年1月30日1月31日)で紹介したMary Louise Prattの講演がアップされていたので見てみました。

  • Mary Louise Pratt. “The Rough Guide to Geopolitics” Presented at the 25th Anniversary Chicago Humanities Festival, Journeys on November 2, 2014

この講演で、Prattは、今までは「旅」というと「旅行者」に目がいきがちで、受け入れる側にはあまり注目されていなかったと指摘しています。

また、「旅」「移動」というと、自由や新しい知識の獲得、自己実現などとよく結び付けられて話されますが、経済移民や難民のように、あまり望んでいない「旅」もあること、そして受け入れる側は望んでいないこともあることを述べて、「mobility(移動)」という言葉で帝国主義・植民地主義の権力関係(パワー)を隠蔽していることもあるのではと言っていました。

自己実現の「旅」と、そうでない「旅」を比べるために挙げていたのが「Tracks (2013)」と以下の「Rabbit-Proof Fence(裸足の1500マイル)(2002)」です。

Tracksは私は見ていませんが自己実現型の旅の話らしいです。「Rabbit-Proof Fence(裸足の1500マイル)」は何年か前に見ましたが、強制的に寄宿舎に入れられた白人男性と先住民アボリジニ女性との間の子供が母元に帰ろうとする話で、なかなかおもしろかった記憶があります。

また、ツーリストが地球を壊すのか、救うのかというツーリズムをテーマにしたドキュメンタリーとしてGringo Trailsという映画も紹介していました。

最後には、「移動させられない権利」をコミュニティレベルで主張しているメキシコのコミュニティの活動なども紹介していました。

「mobility(移動)」という言葉で帝国主義・植民地主義を隠蔽していることがあるかは正直よくわかりません。ただ、前紹介したFairclough (1999)もいっていましたが、どの言葉が使われているか(使われていないか)、どうしてなのかを考える必要はあると思いました。

言語教育研究でも学習者の留学経験を扱った研究はよくありますが、「受け入れる側」に注目した研究は私の知る限りではまだそれほど多くないように思います。受け入れる側の視点に立った研究もおもしろいかもしれません。

  • Pratt, Mary Louise. Imperial eyes: Travel writing and transculturation. Routledge, 2007.