この記事は、ダイグロシアと個人的バイリンガリズムの関係について記載した、1980年のFishmanの論文の備忘録です。
ダイグロシアとは
ダイグロシアとは、一般にある社会の中で、2つの言語、または方言等の言語変種)が、それぞれ別の社会的領域で、同時に使われている状況のことを言います。
例えば、日本語の場合、基本的に標準日本語が公的な場面では使われていますが、日常会話では方言を使っている人も多いです。
このような場合、標準日本語と方言という変種が、別の社会的領域(公的な場・日常会話)で使い分けられていると考えられます。
なお、教育・公式の場などで使われる言語・変種を「H言語・変種」、家庭やインフォーマルな場で使われる言語・変種を「L言語・変種」と呼びます。Hはhigh、Lはlowからきています。
ダイグロシア(diglossia)とはダイグロシアとはダイグロシアは、アメリカの言語学者Charles A. Fergusonが提唱した概念です。フランス語のdiglossieという言葉からとった用語です。このフランス語のd[…]
このダイグロシアは社会全体での二言語併用について考えるための枠組みです。社会的バイリンガリズムと言われることもあります。
一方、個人に目を向けると、同じ社会の中でも、Aさんは方言と標準日本語の両方が話せるが、Bさんは標準日本語のみしか話せないなど、個人レベルでもバイリンガリズムは存在します。
この社会的バイリンガリズムであるダイグロシアと、個人的なバイリンガリズムはどのような関係にあるのでしょうか?
Joshua Fishmanは、言語復興などの分野で多数の著作を残したアメリカ合衆国の社会言語学者ですが、1980年の『 Bilingualism and biculturalism as individual and as societal phenomena』という論文の前半部分で、このダイグロシアと個人的バイリンガリズムの関係について論じています。
今回の記事では、このFishmanの論文の中の、ダイグロシアと個人的バイリンガリズムについてのFishmanの枠組みを紹介し、備忘録として読んで感じた疑問点を記載します。
ダイグロシアと個人的バイリンガリズムの関係
Fishmanの枠組み
Fishmanは、ダイグロシアと個人的バイリンガリズムの関係を以下の表のように4つのケースに分けて考えています(Fishman 1980, p. 6、拙訳)。
ダイグロシア | |||
+ | - | ||
個人的バイリンガリズム | + | 1. ダイグロシア・バイリンガリズムどちらもあり | 3. ダイグロシアなしのバイリンガリズム |
- | 2. バイリンガリズムなしのダイグロシア | 4. バイリンガリズムもダイグロシアもなし |
1つ目は、ダイグロシア・個人的バイリンガリズムどちらも存在するケースです。家庭等では地位の低い言語であるL言語が使用され、教育・宗教・職場・行政では地位の高い言語であるH言語が使用されます。
2つ目は、ダイグロシアはあるが、個人的バイリンガリズムがないという状況です。政治的理由で、複数のモノリンガルの地域が合併した場合などが当てはまるようです。例としては、スイスやベルギー、カナダ等があげられていました。それ以外にも、一部の植民地支配のケースで、支配層の言語と被支配層の言語が違う場合も例になるそうです。
3つ目のケースは、ダイグロシアが存在せず、コミュニティの構成員はバイリンガルでどちらの言語も使える状況です。
Fishmanの分析で面白いのは、ダイグロシアの存在によって、言語が保持される側面もあると考えていたことです。
ダイグロシアがあると、2つの言語の使い分けがなされるので、それぞれの言語が別領域で使われることになります。これにより、その言語コミュニティの使用言語が別言語に変わるという言語移行(language shift)が起きづらい状況であると考えました。
この3つ目の「ダイグロシアなしのバイリンガリズム」の場合、社会的には言語的選択が不安定になり、どちらかの言語への言語移行が起きやすい状況であると考えました。
つまり、2つの言語のうち、マジョリティの言語のほうが強くなって、使用領域を広げていき、マイノリティの言語はどんどん使われなくなります。先住民や移民の言語が喪失したケースを例にあげていました。
4つ目のケースは、個人的バイリンガルもダイグロシアもなしということで、コミュニティがモノリンガルの場合です。例として、韓国、イエメン、キューバ、ポルトガル、ノルウェーなどを挙げていました。
個人的によくわからなかった点
表にしてわかりやすく提示しているのかもしれませんが、表の4つのケースに当てはまる例を自分なりに考えてみると、かなり混乱しました。
論文が書かれたのが1980年で古いのでその当時とは状況も変わっているのかもしれませんが、2つ目の「ダイグロシアはあるが、個人的バイリンガリズムがない」の例であげられていた、スイス・ベルギー・カナダ等は現在は多言語国家で、個人的にも多言語を使用する人が多いと思います。
変種なども入れた場合、第4のケースの「個人的バイリンガルもダイグロシアもなし」というモノリンガルなコミュニティなども存在するのだろうかとも思いました。
論文でも多様性については触れてはいましたが、それでも、この4つの枠に入れるのはかなり無理があるケースが多い気がしました。
まとめ&ご興味のある方は
この記事では、ダイグロシアと個人的バイリンガリズムの関係について、1980年のFishmanの論文の前半部分を簡単に紹介しました。まとめると以下のようになります。
- Fishmanは、社会的なバイリンガリズムであるダイグロシアと個人的バイリンガリズムの関係について枠組みを示した。
- ダイグロシアがあると、2つの言語の使い分けがなされるので、言語が比較的保持しやすい状況であると考えた。
- 一方、ダイグロシアがなく個人的バイリンガリズムがある場合だと、言語コミュニティの使用言語が別言語に変わるという言語移行が起こりやすい状況になると考えた。
ご興味のある方は以下の記事もご覧ください。
- ダイグロシア(diglossia)とは?H変種とL変種・ダイグロシアに対する批判について
- バイリンガリズムの概念:同時性・後続性・加算的・減算的バイリンガリズムについて
- ダブル・リミテッド・バイリンガルとは?ダブル・リミテッド現象の年齢・領域・要因について
- 言語と方言の違いについて
- 言語復興に関するフィッシュマン(Fishman)のReversing Language Shift(RLS)について
- 言語と宗教の社会学についての理論的枠組みとなるFishman (2006)を読みました。
今回紹介したFIshmanは言語復興関係の著作で有名です。
参考文献
- Ferguson, C. A. (1959). Diglossia. word, 15(2), 325-340.
- Fishman, J. A. (1980). Bilingualism and biculturism as individual and as societal phenomena. Journal of Multilingual & Multicultural Development, 1(1), 3-15.