ヴィゴツキーの理論について(発達の最近接領域、内言、高次精神機能)

ヴィゴツキー

この記事では、ヴィゴツキーについて紹介した後、ヴィゴツキーの提唱した①発達の最近接領域、②心理的道具としてのことばと内言(inner speech)について簡単に説明します。

レフ・セミョーノヴィチ・ヴィゴツキー(1896年~1934年)はロシアの教育心理学者です。

1896年に白ロシア(現在のベラルーシ)のユダヤ人家庭で生まれ、1934年に37歳の若さで結核で病死しています。

心理学のモーツァルト」ともいわれるくらい、短い研究生活の中で、数多くの実験的・理論的研究を行いました。

とはいえ、ヴィゴツキーがソビエト国外で知られるようになったのは、1960年代に入ってからです。

下記にも述べる通り、ヴィゴツキーの理論は、こどもの発達における教育や、文化的・社会的環境の役割を強調しています。

1960年代のアメリカでは教育学者デューイの論が影響力があったのですが、それに異をとなえたブルーナーをはじめとするアメリカの研究者の中で、ソビエトの心理学・教育への関心が高まったのです。

ヴィゴツキーの主な著作の一つである『思考と言語』も、英訳されたのは1962年です。

ヴィゴツキーの理論は数多くありますが、今回はその中でも以下の2つを簡単に紹介します。

  • 発達の最近接領域(Zone of Proximal Development)
  • 心理的道具としてのことばと内言(inner speech)

発達の最近接領域(Zone of Proximal Development)

発達の最近接領域とは

ヴィゴツキーの理論で有名なのが、「発達の最近接領域(Zone of Proximal Development)」です。

「発達の最近接領域」とは、現在自分一人でやることは難しいが、他人との協同の中であれば(誰かのサポートがあれば)できることの領域を指します。

例えば、5歳のこどもに、難しい統計の計算をいくら説明したところで、できるようにはならないでしょう。ただ、簡単な足し算・引き算だったら、大人がサポートすればできるようになるかもしれません。この場合、足し算・引き算ができるということは「発達の最近接領域」に入ります。

中国語を習い始めて1週間の人は、いくら教師がサポートしても、中国語のニュースを聞きとれるようにはならないでしょう。でも、簡単な挨拶ならできるようになると思います。この場合、「中国語のニュースを聞きとる」は「発達の最近接領域」には入りませんが、「簡単な挨拶」は「発達の最近接領域」に入ります。

発達の最近接領域は、現在の発達水準と、将来の発達水準の間の領域とも言えます。

なぜ発達の最近接領域が大切なのか

でも、なぜ、この「発達の最近接領域」がそれほど大切なのでしょうか。

実は、「発達の最近接領域」は教育や、文化的・社会的環境の大切さを教えてくれる概念でもあります。

こどもの発達を評価するとなると、その発達の評価方法として普通は試験などを思い浮かべると思います。試験は当たり前ですが、自力で解いたもののみが価値があるとみなされます。他人の助けを借りてやった場合は、試験は無効とみなされてしまいます。

ヴィゴツキーは、試験でわかるのは「現在の発達水準」であり、そうではなくて他人の助けを借りてできる「将来の発達水準」に着目すべきであると考えました。こどもの「伸び幅」のようなものですね。

他人の助けを借りてできることは、将来、自分一人でもできるようになる可能性があります。

 

「他人の助け」に着目することにより、教育や、文化的・社会的環境によって(つまり「他人の助け」の有無や程度によって)、こどもたちの「将来の発達水準」も変わってくることにも気づかされます。

こどもは勝手に一人で発達するわけではなく、親子・友達、兄弟などの関係の中で、他人と協同しながら、教育を受けながら発達します。

野球をやらせた場合も、練習環境が整っていて、優れた指導者がいる場合は、その子の「発達の最近接領域」は広がるでしょう。一方、練習環境や指導者がいない場合だと、その子の「発達の最近接領域」は狭まってしまうと考えられます。

 

ヴィゴツキーはこどもの発達を、常に教授・学習の関連において、そして文化的・社会的環境と教育とのかかわりにおいてとらえようとしました。

考えてみれば当たり前のことと思う人もいるかもしれませんが、ヴィゴツキー以前の教育心理学では、こども自身に着目していたそうで、その周りの環境等はそれほど着目されていませんでした。

こどもの発達における教師や親の役割の必要性や、こどもたちの協同的な活動、文化的・社会的環境に着目していたことがヴィゴツキーの理論の貴重な知見だったと言えます。

心理的道具としてのことばと内言(inner speech)

心理的道具としてのことば

ヴィゴツキーは教育、文化的・社会的環境を重視していると言いましたが、そこで中心的役割を担うのはことばです。

ヴィゴツキーは、人間と動物との違いは「道具」を使うことにあると考えました。

「道具」というのは、はさみや機械などの目にみえる道具だけではありません。ヴィゴツキーは、ことばは人間の「心理的道具」としての役割を果たすと考えました。

何かを感じたとしても、何かを考えた場合も、ことばを媒介しなければそれを伝えることはできません。そもそも、ことばなしには、考えることすらできないとも言えます。つまり、ことばというのは、人間の心理活動を媒介するとともに、心理そのものを形成するものでもあります。

「発達の最近接領域」でも、こどもの発達における他人のサポートの役割に着目していましたが、この他人の手助けもことばを介して行われるものですね。

内言(inner speech)

当時、こどもは、思考ができてから話し始めるようになるという考えが主流でした。

ただ、ヴィゴツキーはそれに異を唱え、ことばの発達は、周りの人々とのあいだでのコミュニケーションが先立つと考えました。つまり、「思考ができる⇒話し始める」でなく、「話し始める⇒思考ができる」と考えたわけです。

最初、こどもとまわりの人々のあいだでコミュニケーションの手段として、ことばを使うようになります。

その後、次第に独り言のような自己中心的な言葉遣いもするようになります。ただ、個人差はありますが6,7歳ごろになると、この独り言はなくなることが多いです。

なぜなくなるのかというと、「内言(inner speech)」に転化したからだとヴィゴツキーは考えました。

内言というのは、思考のための道具として自分の頭の中で使うことばのことです。自分が考えるためのことばなので、他人に働きかけたり、他人に理解を求めたりするためのものではありません。なので、文法にのっとっておらず、省略が多いことも多いです。主語がなく「述語」が多いともいわれています。

自分の頭の中での思考を促すような「内言」に転化したことにより、独り言のようなつぶやきがなくなったということです。

内言と高次精神機能

さらに、論理的思考や道徳的判断、意志など、人間の高次精神機能も、まわりの人間とのコミュニケーションから発達すると考えました。

高次精神機能は、はじめは、精神間的(interpsychical)機能であったものが、精神内的(intrapsychical)機能に転化することにより生じるとヴィゴツキーは考えました。

先ほどの内言の例がその例です。

最初は、ことばは他人とのコミュニケーションで使う外的な手段(=精神間的機能)だったものが、内言として自分の頭の中で考える思考の道具として使われるようになる(=精神内的機能)に変化します。

個々人の中の精神内的機能となることで、論理的思考、道徳的判断、意志などの人間特有の高次精神機能が発達していくというわけです。

まとめ&興味のある方は

ヴィゴツキーの理論のいくつかを簡単に紹介しました。

今回の記事をまとめると以下のようになります。

  • ヴィゴツキー(1896年~1934年)はロシアの教育心理学者。こどもの発達における教授・学習、文化的・社会的環境の役割に着目した。
  • 発達の最近接領域とは、現在自分一人でやることは難しいが、他人との協同の中であれば(誰かのサポートがあれば)できることの領域を指す。
  • ことばは心理的道具として重要な役割を果たす。
  • こどもはまず周りとのコミュニケーションのことばを学び、それが内言(inner speech)に転化する。
  • 人間の高次精神機能は、精神間的(interpsychical)機能から精神内的(intrapsychical)機能へと転化することで生じる。

ヴィゴツキーは、これ以外にも、短い生涯の中で、障がい児教育や芸術教育などさまざまな分野で知見を残しています。

また、ヴィゴツキーの理論は言語教育にも大きな影響を与えています。ご興味のある方は以下の記事もご覧ください。

言語教育に影響を与えた他の思想家にご興味のある方は、以下もご覧ください。

参考文献

ヴィゴツキーの入門書です。ヴィゴツキーの思想について、非常にコンパクトにわかりやすくまとめられています。この記事を書く際にもこの本を主に参考にしました。この記事で触れられていないヴィゴツキーの思想についても、紹介されています。

ヴィゴツキーの代表作の一つ、「思考と言語」の翻訳版です。