昨日の記事の続きで、プラットについてです。
- Pratt, Mary Louise. Imperial eyes: Travel writing and transculturation. Routledge, 2007.
さて、今回読んだのは上記の本ではなく、以下の論文です。
- Pratt, Mary Louise “The Traffic in Meaning: Translation, Contagion, Infiltration” in Profession, Fall 2002
この中でPrattは文化翻訳について書いています。
1780年頃にペルーでスペイン支配への反乱があり、反乱者は処刑され、その後、土着の慣習はすべて禁止されるようになったそうです。Arecheというスペイン人裁判官がスペイン国王に対して、この処刑の様子や、服装や儀礼などの土着の慣習の禁止令について説明した報告書が残っているそうなのですが、それを読んでいくと、驚くほど詳しくそこに住む人々の服装、習慣、その意味などについて記載しているみたいです。その報告書の目的はともあれ、今の人類学者と共通するものがあるぐらいだったそうです。
Prattはこれを基に、翻訳者のEliot Weinbergerと人類学者のギアツ(Geertz)を引用しながら翻訳について考え、翻訳者とはどうしても相容れない意味の絡み合い(entanglement)と向き合わなければならないといっています。
また、Prattは、文化翻訳というのは矛盾を抱えた言葉だといっています。「文化翻訳」という言葉には文化間の距離を乗り越えるという意味を含む一方で、文化の違いも前提にしているため、文化間での絡み合い(entanglements)の中で生じる新たな主観性(例えばクレオールやピジン等)といったものに注目していないといっています。(p.34)
Prattは翻訳を、意味が行き交う(traffic in meaning)ことを意味するメタファー(比喩)と捉えていました。
また、彼女は多言語主義についても最後に触れていました。彼女によると、多言語話者というのは、1つ以上の言語のなかに生きる人のことで、彼らは翻訳ができたとしても必要なわけではないので、多言語主義のイメージとして適切なのは翻訳ではなく、「desdoblamiento(doubling)」、つまり自らを増幅するというイメージなのでは、といっていました。(p.35)
読んだばかりであまり咀嚼できていませんが、前紹介したHanksの議論とも共通点があるような気がしました。