バフチン(Bakhtin)について
この記事では、バフチンについて紹介したあと、バフチンの対話理論、ポリフォニー論、カーニヴァル論について簡単に説明します。
ミハイル・バフチン(1895-1975)はロシアの文学者・思想家です。
バフチンはドフトエフスキ―論やラブレー論など文学研究で有名ですが、それだけでなく、哲学、言語学、心理学、記号論など様々な著作を残しています。
バフチンは、1894年オリョールに生まれで、その後ノヴォロシア(現オデッサ)に移住します。ペトログラード(現サンクトペテルブルグ)、ヴィテプスク、レニングラードなどで執筆活動を行いました。
1928年には反ソビエト的活動により逮捕され、1930年からはカザフスタンのコスタナイ市に5年間流刑になります。その後、モルドヴィア教育大学で勤務します。
バフチンの理論(特に対話理論)は1970年ごろから再評価され、文学研究や文化研究、言語教育を含む様々な分野で応用されています。
この記事では、バフチンの中でも以下の3つについて簡単に説明します。
- 対話理論
- ポリフォニー論
- カーニバル論
なお、バフチンは、基本はドフトエフスキ―やラブレーなどの小説の例をもとに、これらの理論について説明しています。
対話理論については、体系立てて説明しているわけではないため、特徴が分かりづらいと言われることもあります(桑野 2021)。
対話理論(dialogism)
生きることとしての対話
「対話」というと、「相手と向き合って話す」という意味で使われることが多いと思います。
ただ、バフチンにとって、対話というのは、ただ相手と話すことではありません。対話することは生きることであると考えています(桑野 2021)。対話というのは人間の存在の根源的意味を持つと考えているのです。
人間は一人では、自分が何者かというのを知ることもできないですし、個人として自立することもできません。「意識」すら持つこともできないと、バフチンは考えます。
自分自身を個人として意識し、自分がどういう人間かを知るためにも、他者が必要になります。他者のためだったり、他者を通してだったり、他者に助けてもらったりして、自分自身を知ることによって、個人として自立できるのです。
そもそも、自分の意識というのは、一つの単体で存在しているのではなく、常に別の意識の間との関係性で存在し、その別の意識との間で対話を産み出そうとしているといいます。その対話は終わることがないといっています。
つまり、他者との対話的な関係なくしては、自分自身になることもできないのです。
個人として存在するより先に、人と人との相互関係があって、対話をしている状態のほうが自然であると考えます。
内なる自分
バフチンにとって、対話は生きることであり、死ぬまで終わることはありません。
また、人というのは死ぬまで未完成な状態なので、「山田さんは、厳しい人だから」と他の人の性格などを決めつけてしまうことには否定的です。
こういう風に決めつけてしまうことは、相手や自分を「モノ」としてみていることであるとバフチンは考えました(桑野 2021)。
人間は未完成な状態であるので、様々な可能性があります。今までの考えや見解、立場を変えたり、やめたりする可能性もあります。
対話というのは、その「内なる自分」を引き出す役割にもなるといいます(桑野 2021)。
だれかと話している中で、自分の知らなかった一面に気がついたり、今までの考えに疑問をもったりしたという経験をした人は多いのではないかと思います。「内なる自分」を引き出していくのが対話の役割の一つでもあります。
聞き手の役割
バフチンにとって、対話の相手も、ただ相手の話を聞く受動的な存在ではありません。
聞いている側も、能動的に応答していくことが必要だと考えています。また、対話は感情移入することでもありません。感情移入することは、対話を貧しくすることになると考えます。
というのも、感情移入する際は、相手の話に同情したり反感を覚えたりします。結果、相手を敵・味方に分けるようなことになってしまいます。対話に必要なのは、相手と自分を同一視することではなく、違いを前提に連帯していくことだとバフチンは考えました。
バフチンは、対話のことを「闘争」と例えて話すときもあります。このときの「闘争」というのは、ぶつかり合って火花を散らし、相手を打ち負かすという意味ではなく、お互いが豊かに変化するためのものです(桑野 2021, p. 108)。
このようにバフチンの対話理論は、「対話」という言葉でイメージするものとは違い、人間の存在にも関係するようなものです。現代社会にも示唆を与える思想が多く、言語教育を含む多数の分野で応用されています。
ポリフォニー論
ポリフォニー論は、対話理論と合わせてよく出てくる概念です。
ポリフォニーというのは音楽の用語で、複数の異なる声部が、異なるピッチとリズムの旋律を奏でる音楽のことを言います。
ドフトエフスキーの小説を分析していたバフチンは、ドフトエフスキ―の小説内で、作者が操り人形のように登場人物を操るのではなく、登場人物が自律的に対話していることに気がつきました。
様々な異なるピッチ・リズムの声部が入り混じる音楽のように、様々な異なる立場・意見・人格の登場人物が小説内に存在して、他の登場人物と対等に対話しているという形ですね。
また、作者が権威をもって、登場人物の一人の意見を優先したり、登場人物に価値判断を下したりはしていません。
このような様々な声が入り混じるような小説を、バフチンは「ポリフォニー小説」と呼びました。
バフチンは、登場人物をキャラクター扱いして、ステレオタイプ化する小説は、登場人物の人格を無視していて、無責任であるとも言っています(桑野 2021)。
作者は、自分と対等な他者の意識をもって、対話的関係を構築することになります。
ちなみに、バフチンは、ドフトエフスキ―の小説をポリフォニー小説と呼んでいましたが、シェークスピア、ヴォルテール、バルザックなどの小説にもポリフォニー的な要素があると述べています。
カーニバル論
カーニバル論というのは、バフチンがフランソワ・ラブレーの小説と実際のカーニバルをもとに発展させた論です。
カーニバルというと、リオデジャネイロのカーニバルなどの祭典を思い浮かべる人も多いと思います。
バフチンは、カーニバルを古代ローマのサトゥルナリア(農神祭)や中世の愚者の祭りなどの、祝祭や儀式の総称として使っています。
カーニバルは、パフォーマンスする人と観客が一体になるもので、すべての人が主人公となりえる場でもあります。
カーニバルの特徴として、普段存在している秩序や社会的階級がなくなったり、逆転したりすることが挙げられます。
カーニバルの場では、様々な立場・身分・思想・考え方を持った人が同時に存在することが容認され、いつもは関わることのない人同士で新たな関係が芽生えることもあります。
さらに、社会階級がなくなるだけでなく、神聖なものが冒涜されるなど、普段の階級が逆転することもあります。
いつもは口に出せないことも言えるようにもなり、自由な笑いや罵詈雑言が生まれ、新しい対話関係が産まれる素地ができます。
まとめ&ご興味のある方は
バフチンとその対話理論、ポリフォニー論、カーニバル論について簡単にですが紹介しました。
まとめると以下になります。
- バフチンはロシアの文学者・思想家。特に対話理論は再評価されている。
- 対話理論では、対話を生きることと捉えている。他者との対話を通して、自己を形成し、「内なる自分」を引き出し、自分が変わっていくと考える。
- ポリフォニー論は、様々な異なる立場・意見・人格の登場人物が対等に対話しているような小説を指す。
- カーニバル論は、カーニバルという場を描いた小説を指す。カーニバルでは、普段存在している秩序や社会的階級がなくなったり、逆転したりする。
※バフチンについて、自分が理解した範囲でまとめましたが、原書をほぼ読んでいないため、上記の記述が正確でない可能性や重要な点が抜けている可能性もあります。詳しく知りたい方は参考文献をご参照ください。
ご興味のある方は以下の記事もご覧ください(バフチンについての記事は、備忘録なのでわかりにくいと思います。すみません)。
- ヴィゴツキーの理論について(発達の最近接領域、内言、高次精神機能)
- ピアジェ(Piaget)とヴィゴツキー(Vygotsky)の違いについて調べてみました。
- バフチンの短いエッセイ読了。発話にはすでに聞き手の存在が含まれていると・・。
- 最近再評価されているロシアの文学者バフチンに関する動画があったので見てみました。
- 間主観性(intersubjectivity)に関するGillespie and Cornish (2010)を読みました。
参考文献
対話論・ポリフォニー論のところは、主にこの本を基に記載しています。日本語でわかりやすく対話論について解説しています。
バフチンの生涯について詳しく記載しています。バフチンがどういう環境で研究を行ったのかを知るのに参考になります。
バフチンの対話理論を第二言語教育で応用した例です。著者の西口は、バフチンの対話理論をもとに『NEJ:A New Approach to Elementary Japanese <vol.1> テーマで学ぶ基礎日本語』という日本語教科書も開発しています。