今回読んだ論文
Multilinguaというジャーナルに載っていたKasperの短い論文(というよりも序章(論文のタイトルも「Introduction」)を読みました。
- Kasper, G. (2006). Politeness in interaction: Introduction to the Special Issue. Multilingua, 25, 243-‐248.
ポライトネスという分野は1978年にBrown and Levinsonの本(下記は再版で1987年になっています)が出版されてから活発に研究されるようになりました。
- Brown, Penelope, and Stephen C. Levinson. Politeness: Some universals in language usage. Vol. 4. Cambridge university press, 1987.
ポライトネスとは
ポライトネスは、対人関係をスムーズにするための言語の使用・行動のことと理解しています。
Brown and Levinsonは、人間は、相手と積極的にかかわって、認められたいという欲求(positive face)と、プライベートを保ちたい、邪魔されたくない、ネガティブな印象を与えたくない、相手にずかずか土足で入ってきてほしくないという欲求(negative face)という2つのFace(顔・面子)を持っているといっています。
Brown and Levinsonによると、この2つの欲求のバランスをとるために、会話では相手と距離をとってみたり(negative politeness strategy)、相手と仲良くなろうとして相手との距離を縮めたり(positive politeness strategy)様々な言語ストラテジーをとるといっています。
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ポライトネス理論への批判 ―理論の普遍性
Brown and Levinsonではこの対人関係で使う言語ストラテジーについてかなり詳しく説明していて、わかりやすいので、かなり頻繁に使われていたようですが、どの理論もそうですが、批判もたくさん受けているようです。
少し前の批判だと、Brown and Levinsonはこういう欲求や言語ストラテジーは普遍的なものだといっていたのですが、これは普遍的ではなく、非西洋言語には当てはまらないのではないかというものがありました。
例えば、Brown and Levinsonのポライトネス理論はあくまで個人がとるストラテジーに注目しているのですが、日本語には「わきまえ」という考えがあり、わきまえは個人のストラテジーというよりも、社会で求められているものだというような議論がIde (1989)等でされていました。
ポライトネス理論への批判―ポスト構造主義・社会構築主義からの批判
Kasperによると、最近の批判は、ポスト構造主義や社会構築主義から来ているものが多いみたいです。
Brown and Levinsonの場合だと、話すときに、人間関係(相手との親疎関係)や場のフォーマルさなどを考えて、どの言語ストラテジーをとるかを決めることになるのですが、最近の研究では、そういう人間関係や場のフォーマルさなどといったコンテクスト(文脈・状況)といったものは、会話の外にある、変わらないものではなくて、会話の中でどんどん変わっていくものだと言っています。
例えば、Brown and Levinsonの場合だと、例えば学生が教授と話すとき、2人の関係は上下関係にあるので、学生は敬語などのストラテジーを使って、相手のFaceを守ろう(つまり相手に迷惑を掛けないようにしよう、相手の領域に踏み込まないようにしよう)とするという理解になります。
ただ、同じMultilinguaの中のCook (2006)の研究だと、学生は教授と話すときに、常に敬語を使っているわけではなくて、自分の意見に自信を持っているときには敬語を使わずに話したり、「です」「ます」を使わず途中で文を終わらせたりして、相手との関係をうまく構築しているといっています。
これは相手との「上下関係」という、ある種の固定的な考え方では説明できない、もっと様々なことが、その場その場の状況に合わせて起こっているということだと思います。
また、「です」「ます」という言葉遣い自体が、丁寧さやフォーマリティという意味を表すのではなくて、使う場面によっていろいろな社会的意味を持つのではという考えにつながっていくのだと思います。(例えば、仲のいい人に「です」「ます」を突然使うと、冗談や嫌味に聞こえたりするなど)
最近ポスト構造主義に関する文献を結構読んでいることもありますが、このポスト構造主義の影響力の強さを感じます。数十年後にはどういう方向に議論は向かうのでしょうか。