前から読みたいと思っていたInoue (2006)の女ことばに関する本(詳しくはこちら)を入手できたので早速読んでいます。
- Inoue, Miyako. Vicarious language: Gender and linguistic modernity in Japan. Vol. 11. Univ of California Press, 2006.
まだ第1部と第2部しか読んでいませんが、全3部で構成されていて、第1部は、1880年から1930年までの女ことばの歴史的変遷、第2部は1980年後半から1990年代の女ことばの扱われ方、第3部は東京のある会社で著者が行ったエスノグラフィック調査の結果を記載していました。
明治時代に女学生が「○○てよ」「○○だわ」と話すのを耳にした男性は、この「てよだわ言葉」を、その当時のジェンダー・イデオロギーとは反する卑猥(vulgar)なものとして扱っていたそうです。ただ、女学生の間の言葉でしかすぎなかった「てよだわ言葉」が、日本の近代化とともに、日本の小説や女性雑誌などを通して語られていくことで女性語として構築され、消費されていったと第1部ではいっていました。
仔細ですがおもしろかったのが、1813年に書かれた式亭三馬の浮世風呂と、1909年の夏目漱石の三四郎での終助詞の比較です。浮世風呂では男女の区別なく使われていた終助詞が、三四郎では女性か男性の一方が使用するなど、ジェンダー化されていたそうです。(p. 93-97)
第2部では、新聞の読書欄や国語審議会の意識調査などを分析しながら、1980年代後半から1990年代にかけての「女性の話し方が乱れている」という言説を戦後の日本のジェンダー・イデオロギーの変遷と重ね合わせながら分析していました。Inoueの指摘でおもしろいなとおもったのが、新聞の読書欄での「女ことばが乱れている」といった指摘は、その背景にある歴史的・社会的状況ではなく、女ことばを話す/話さない個々人の女性(responsibilized speaking body)の自己責任によるものとして語られていたというものです(p. 182)。
第3部も読んでいこうと思います。